DOCUMENT
学芸員テキスト詳細
カミジョウミカに関する学芸員テキスト
日本語テキストで読む
Read in English Text
夢のなかの世界と現実との往来
「見る人がくすっと笑える楽しい世界を描きたい」
その思いで精力的に描き続けるカミジョウミカの作品は、原色を中心とした色使いの豊かさ、ユニークな生き物をモチーフとしていることから、しばしば「明るく元気がでる」「ポップ」などと評される。本当にそうなのだろうか。
カミジョウミカは生後3カ月で関節が脱臼する先天性骨系統疾患と診断された。小学校5年生で背骨の変形が確認され、中学2年生のときに車イスの生活となった。
描くきっかけとなったのは、諏訪郡下諏訪町の病院に入院中だった19歳のとき。病院スタッフの似顔絵を描いたことにはじまる。体調を整えながら自宅のアトリエで制作を続け、20年を超えた。
「細かく描けば描くほど痛みを忘れる」と明るく話すカミジョウミカ。
寝たきりだった20代前半は制作や展示が思うようにいかず、自由に動ける人がうらやましかった。親に「なんで健康に産んでくれなかったの」と言い放ったとも。「死」という言葉を選んで話す彼女に、真実の姿を見た気がした。それでも作品を観た人の言葉が励みになって「自分は自分のままでいい」と思えるようになった。展覧会場に足を運び、来場者への礼状を欠かさない彼女の姿勢もまた、作品の味となっている。1998年に'98アートパラリンピック長野で受賞したのを最初に数々のコンテストで受賞。手がけたデザインも首都圏で商品化され、ますます活動の幅を広げる。
ためらいのない筆致は、彼女の心の慟哭や闘い、克己の過程の証。
本当につらいとき、笑顔でいることほど残酷なことはないはずだ。
現在は夢に出てきた光景を毎日描きためている。興味心からか脅迫感からか。
暗い色合いだから悲しいのではない、明るい色合いだから楽しいのではない。
彼女はさまざまな仮定を打ち壊す。それはめくるめくほどに変わる画材や描画方法に表れている。挑戦・変容し、表現し続けること、それは彼女の「生きている証」といえないだろうか。
その思いで精力的に描き続けるカミジョウミカの作品は、原色を中心とした色使いの豊かさ、ユニークな生き物をモチーフとしていることから、しばしば「明るく元気がでる」「ポップ」などと評される。本当にそうなのだろうか。
カミジョウミカは生後3カ月で関節が脱臼する先天性骨系統疾患と診断された。小学校5年生で背骨の変形が確認され、中学2年生のときに車イスの生活となった。
描くきっかけとなったのは、諏訪郡下諏訪町の病院に入院中だった19歳のとき。病院スタッフの似顔絵を描いたことにはじまる。体調を整えながら自宅のアトリエで制作を続け、20年を超えた。
「細かく描けば描くほど痛みを忘れる」と明るく話すカミジョウミカ。
寝たきりだった20代前半は制作や展示が思うようにいかず、自由に動ける人がうらやましかった。親に「なんで健康に産んでくれなかったの」と言い放ったとも。「死」という言葉を選んで話す彼女に、真実の姿を見た気がした。それでも作品を観た人の言葉が励みになって「自分は自分のままでいい」と思えるようになった。展覧会場に足を運び、来場者への礼状を欠かさない彼女の姿勢もまた、作品の味となっている。1998年に'98アートパラリンピック長野で受賞したのを最初に数々のコンテストで受賞。手がけたデザインも首都圏で商品化され、ますます活動の幅を広げる。
ためらいのない筆致は、彼女の心の慟哭や闘い、克己の過程の証。
本当につらいとき、笑顔でいることほど残酷なことはないはずだ。
現在は夢に出てきた光景を毎日描きためている。興味心からか脅迫感からか。
暗い色合いだから悲しいのではない、明るい色合いだから楽しいのではない。
彼女はさまざまな仮定を打ち壊す。それはめくるめくほどに変わる画材や描画方法に表れている。挑戦・変容し、表現し続けること、それは彼女の「生きている証」といえないだろうか。
Comings and Goings between the World of Dreams and Reality
“I want to draw a world full of fun where viewers can let slip a chuckle.”
KAMIJO Mika keeps drawing energetically with this desire in mind. She was diagnosed to be suffering from congenital bone disease, fallen sick from joint dislocation at three months of age. Even now she lives her life in a wheel chair fighting against the pain. She was spurred to draw while she was in a hospital, located in Shimosuwa-cho, Suwa-shi. At that time, she drew a portrait of a staff worker in the hospital. Twenty years has passed since that pivotal moment. She has continued to draw in her home studio, while doing her best to deal with her physical condition.
She has received awards at various art competitions, beginning with the “’98 Art Paralympic Nagano.” Her design was commercialized in the Tokyo megapolis and she continues to vigorously expand her activities.
KAMIJO Mika keeps drawing energetically with this desire in mind. She was diagnosed to be suffering from congenital bone disease, fallen sick from joint dislocation at three months of age. Even now she lives her life in a wheel chair fighting against the pain. She was spurred to draw while she was in a hospital, located in Shimosuwa-cho, Suwa-shi. At that time, she drew a portrait of a staff worker in the hospital. Twenty years has passed since that pivotal moment. She has continued to draw in her home studio, while doing her best to deal with her physical condition.
She has received awards at various art competitions, beginning with the “’98 Art Paralympic Nagano.” Her design was commercialized in the Tokyo megapolis and she continues to vigorously expand her activities.