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学芸員テキスト詳細
安曇野市豊科近代美術館に関する学芸員テキスト
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中信ブロックの作家・作品概要
第2回になるシンビズム展の中信会場である安曇野市豊科近代美術館には、30代から40代の画家3人、漆芸家1人、写真家1人の作品を展示した。
橋口優は、茅野市生まれで現在は諏訪市在住の洋画家。2017年まで続いた「学校」シリーズはひと区切りとなり、現在は「山」シリーズに取り組んでいる。今回展示される「山」シリーズは大半が新作なので、ここでその詳細を語ることはできない。
「学校」シリーズには、何かしら子どもの頃に感じた自己と周囲との意識の相違とか違和感のような感覚を感じさせる。幼少期には自己の思いや考えが周囲に理解されないある種特有の孤独感や疎外感を感じるものである。作家は東京での制作活動に行き詰まったときに、信州の素晴らしい自然に癒されて制作を再開することができたという。登山の趣味があり、「山」シリーズではそうしたそれまでの閉塞感を脱した生の謳歌があるのだろう。いずれにしても、繊細な感覚を感じる画家である。
山内悠は、兵庫県生まれで現在は茅野市在住の写真家。富士山の山小屋で働いているときに雲上から見える日の出を撮影しはじめた山内は、偶然に撮った写真が契機となり、地上と空の風景が逆転した宇宙と地球を感じさせる表現へ発展していく。
「夜明け」と題するこのシリーズでは、人間は宇宙のなかで生かされている小さな存在なのだと語っている。富士山の後は西表島、屋久島そして今度はモンゴルを取材しようとするこの作家にとって、対象は単なる被写体ではない。長田絵美学芸員が「修行に近い」というように、この作家にとって写真とは自分探しの旅なのだ。
橋本遥は、埼玉県在住の漆芸家だが、学生時代から木曽平沢と関係を持つようになり現在は平沢の空き家を拠点に活動している。この作家は面白いことに、そば猪口や箸といった伝統的な漆器を制作するかたわら、乾漆による現代美術の作品も制作している。
縄文時代の出土品にも正倉院の宝物にも漆器はあるが耐久性があり、江戸期のものでも現在も日常的に使われているものがある。また奈良時代の天平仏は乾漆技法で造られている。作家の現代美術の作品には頭骨や人体を題材にした作品があるが、滅び消えていく死というテーマを漆という材料で表現することのアイロニカルな感覚を主張しているのかもしれない。
末永恵理は、東京都出身だが東京での制作に限界を感じ八ヶ岳山麓周辺に移住した洋画家である。移住してからは、木のシリーズ、さらにミニマルな線や色面の繰り返しによって自然を画面に再構成する画風に移行し、現在は点による表現のシリーズになっている。
自然のなかに身を置くことで自身の制作意欲を維持できたこの作家にとって、自然は単なる外形描写の対象ではなく、自身が自然のなかに微細に入り込み、自然と同化するような意識に転換していったように思われる。
OZ-尾頭-山口佳祐という風変わりな名で作品を発表しているのは、長野市出身の作家である。この作家は神社に奉納する絵馬や、店の壁やシャッター、ホテルの室内にまで絵を描く。洋画家でも日本画家でもない、まさに絵師と呼ぶにふさわしい。
画材や画法があって絵を描くわけではない。描きたいモノや描きたいフィールドがあるから絵を描くのであって、この作家はラスコーやアルタミラの洞窟壁画を描いた人たちと同じ初源的な絵画する歓びを持っている。
支持体ばかりでなく周辺環境に応じて多様な画法や技法が求められるこの作家のスタイルは、ほかの作家にはない魅力がある。外的な環境と折り合いをつけながら、即興的に決断して作品に仕上げていくライブペインティングは、この作家の特質を示す真骨頂だろう。美術学校で学ぶことなく独学でこうした技法を身につけたというのは、まさに絵画本来の在り方を示すものだと思う。
今回の5人の作家たちから一定の共通項を導き出すことは難しい。しかし興味深い要素はないことはない。
橋口優と末永恵理の二人の画家は、自身の制作の根源的な問題解決のため東京から自然豊かな信州に活動の基盤を移した。橋本遥は自然から生まれる天然の素材である漆を使い、その縁で木曽平沢を活動の本拠としている。山内悠は前述したとおり、自然から自己の存在する意味を見い出そうとしている。OZ-尾頭-山口佳祐は、どういっていいのだろう、強いていえば絵を描くこと自体が自然の姿に戻ろうとしている。人間が絵を描くという根源的な態度を取り戻そうとしている。
ここまで書いて、読んでいただいた方はお分かりだろうと思う。5人の作家皆が自然に帰っていこうとしている。〝自然回帰〟こそが、この5人の作家の進んでいこうとする道なのかなと、今展を開催するに際し感じたことである。
橋口優は、茅野市生まれで現在は諏訪市在住の洋画家。2017年まで続いた「学校」シリーズはひと区切りとなり、現在は「山」シリーズに取り組んでいる。今回展示される「山」シリーズは大半が新作なので、ここでその詳細を語ることはできない。
「学校」シリーズには、何かしら子どもの頃に感じた自己と周囲との意識の相違とか違和感のような感覚を感じさせる。幼少期には自己の思いや考えが周囲に理解されないある種特有の孤独感や疎外感を感じるものである。作家は東京での制作活動に行き詰まったときに、信州の素晴らしい自然に癒されて制作を再開することができたという。登山の趣味があり、「山」シリーズではそうしたそれまでの閉塞感を脱した生の謳歌があるのだろう。いずれにしても、繊細な感覚を感じる画家である。
山内悠は、兵庫県生まれで現在は茅野市在住の写真家。富士山の山小屋で働いているときに雲上から見える日の出を撮影しはじめた山内は、偶然に撮った写真が契機となり、地上と空の風景が逆転した宇宙と地球を感じさせる表現へ発展していく。
「夜明け」と題するこのシリーズでは、人間は宇宙のなかで生かされている小さな存在なのだと語っている。富士山の後は西表島、屋久島そして今度はモンゴルを取材しようとするこの作家にとって、対象は単なる被写体ではない。長田絵美学芸員が「修行に近い」というように、この作家にとって写真とは自分探しの旅なのだ。
橋本遥は、埼玉県在住の漆芸家だが、学生時代から木曽平沢と関係を持つようになり現在は平沢の空き家を拠点に活動している。この作家は面白いことに、そば猪口や箸といった伝統的な漆器を制作するかたわら、乾漆による現代美術の作品も制作している。
縄文時代の出土品にも正倉院の宝物にも漆器はあるが耐久性があり、江戸期のものでも現在も日常的に使われているものがある。また奈良時代の天平仏は乾漆技法で造られている。作家の現代美術の作品には頭骨や人体を題材にした作品があるが、滅び消えていく死というテーマを漆という材料で表現することのアイロニカルな感覚を主張しているのかもしれない。
末永恵理は、東京都出身だが東京での制作に限界を感じ八ヶ岳山麓周辺に移住した洋画家である。移住してからは、木のシリーズ、さらにミニマルな線や色面の繰り返しによって自然を画面に再構成する画風に移行し、現在は点による表現のシリーズになっている。
自然のなかに身を置くことで自身の制作意欲を維持できたこの作家にとって、自然は単なる外形描写の対象ではなく、自身が自然のなかに微細に入り込み、自然と同化するような意識に転換していったように思われる。
OZ-尾頭-山口佳祐という風変わりな名で作品を発表しているのは、長野市出身の作家である。この作家は神社に奉納する絵馬や、店の壁やシャッター、ホテルの室内にまで絵を描く。洋画家でも日本画家でもない、まさに絵師と呼ぶにふさわしい。
画材や画法があって絵を描くわけではない。描きたいモノや描きたいフィールドがあるから絵を描くのであって、この作家はラスコーやアルタミラの洞窟壁画を描いた人たちと同じ初源的な絵画する歓びを持っている。
支持体ばかりでなく周辺環境に応じて多様な画法や技法が求められるこの作家のスタイルは、ほかの作家にはない魅力がある。外的な環境と折り合いをつけながら、即興的に決断して作品に仕上げていくライブペインティングは、この作家の特質を示す真骨頂だろう。美術学校で学ぶことなく独学でこうした技法を身につけたというのは、まさに絵画本来の在り方を示すものだと思う。
今回の5人の作家たちから一定の共通項を導き出すことは難しい。しかし興味深い要素はないことはない。
橋口優と末永恵理の二人の画家は、自身の制作の根源的な問題解決のため東京から自然豊かな信州に活動の基盤を移した。橋本遥は自然から生まれる天然の素材である漆を使い、その縁で木曽平沢を活動の本拠としている。山内悠は前述したとおり、自然から自己の存在する意味を見い出そうとしている。OZ-尾頭-山口佳祐は、どういっていいのだろう、強いていえば絵を描くこと自体が自然の姿に戻ろうとしている。人間が絵を描くという根源的な態度を取り戻そうとしている。
ここまで書いて、読んでいただいた方はお分かりだろうと思う。5人の作家皆が自然に帰っていこうとしている。〝自然回帰〟こそが、この5人の作家の進んでいこうとする道なのかなと、今展を開催するに際し感じたことである。
大竹 永明 (松本市教育委員会)
Summary of the Works of the Artists in the Central Shinshu Region
The works of five artists in their 30s and 40s, including three painters, an Urushi(Japanese lacquer) artist and a photographer, are on display in the Azumino Municipal Museum of Modern Art, Toyoshina, the exhibit venue for the Central Shinshu region in this 2nd exhibition of Shinbism.
This time, the five exhibitors are similar in certain interesting factors.
HASHIGUCHI Yuu and SUENAGA Eri moved their work base from Tokyo to Shinshu which is abundant in nature, to solve basic challenges in creating works. HASHIMOTO Haruka is based in Kisoshirakawa and uses this area as his center of activities because he uses crude lacquer found in nature over there for his Urushi works. YAMAUCHI Yu, as I mentioned before, tries to find, in nature, his meaning for existence. OZ-YAMAGUCHI Keisuke wishes to return to nature through painting. He tries to bring back the fundamental attitude that “human beings draw and paint pictures by themselves.”
All these five artists are journeying back to nature. While organizing this exhibition, it seemed to me that “back to nature” might be where they are headed.
This time, the five exhibitors are similar in certain interesting factors.
HASHIGUCHI Yuu and SUENAGA Eri moved their work base from Tokyo to Shinshu which is abundant in nature, to solve basic challenges in creating works. HASHIMOTO Haruka is based in Kisoshirakawa and uses this area as his center of activities because he uses crude lacquer found in nature over there for his Urushi works. YAMAUCHI Yu, as I mentioned before, tries to find, in nature, his meaning for existence. OZ-YAMAGUCHI Keisuke wishes to return to nature through painting. He tries to bring back the fundamental attitude that “human beings draw and paint pictures by themselves.”
All these five artists are journeying back to nature. While organizing this exhibition, it seemed to me that “back to nature” might be where they are headed.
Nagaaki Ootake (Matsumoto City Board of Education)