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辰野美術館に関する学芸員テキスト
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南信ブロックの作家・作品概要
辰野美術館は荒神山公園内に位置し、休日には子どもたちが遊び、美術館にも足を運ぶ姿がみられる。展示品も、縄文時代の土偶から、現代を生きる作家の美術品までさまざまである。そんな館内を彩るのは、伊藤純代(彫刻)、伊藤三園(切り絵)、カミジョウミカ(絵画、ミクストメディア)、源馬菜穂(絵画)、平林孝央(油彩画)という、中南信出身の若手作家5名である。
伊藤純代(1982年~)は、辰野町出身の彫刻家である。彫刻といっても、私たちがすぐに思い浮かべる、たとえば粘土で塑像後に鋳造するブロンズ彫刻のようなものではなく、その材料は細かく切り刻まれたリカちゃん人形であったり、でろりと垂らされた樹脂であったり、一見するとお茶目なポーズをとったかわいらしい雰囲気の作品に見えるが、よくよく見るとその形を成す材料にぎょっとさせられる。しかし、そのギャップによって作品からは目が離せなくなる。
伊藤三園(1994年~)は、伊那市の出身である。大学では版画を専攻していたが、15歳の頃から独学で切り絵作品を制作しており、切り絵と木版画を組み合わせた制作を行っている。切り絵のみの作品もあるが、黒い紙一枚からできているとは思えないほど緻密で、ペンで描いたのではと思わされるような繊細な画面からは、作家の目指すとおり色までも感じられる。
カミジョウミカ(1977年~)は、安曇野市出身で、現在も自宅で制作を続けている。先天性骨系統疾患のため入院していた病院のスタッフの顔をデフォルメして描いたことがきっかけで、独学で制作活動をスタートさせるが、作家自身が制作することに歓びを感じていることが伝わってくるような、見ていて思わず笑みを浮かべてしまうような作品ばかりである。
源馬菜穂(1985年~)は、諏訪市出身の画家である。描き出される作品は、軽やかな筆致とパステルカラーの澄んだ色彩が印象的で、見ている者に画面のなかに吹くさわやかな風や、太陽のやわらかな光までも体感させる。実在の風景をそのまま描くのではなく、一度自分のなかにストックしてからイメージを大切に描くといい、そうやって大切に描かれた作品たちは、鑑賞者自身の大切な場所を想起させ、見ていると不思議とやさしい気持ちになる。
平林孝央(1984年~)も、諏訪市出身の画家である。前述した源馬とは、出身地も年齢も同じだが作風はずいぶん違う。画面内に写実的に描き出された少女たちは、だがしかし非現実的な大きさで大輪の花のうえに寝そべり、豪奢なドレスで森のなかに腰を据える。背景には、出身地で取材した風景が描き込まれているという。少女の客体性や空虚さを表現したいと描き出される少女たちはどこか神秘的で、作家が神社や道祖神などに興味を抱き、そのような存在を創り上げたいと制作を続ける思いが伝わってくるようである。
表現方法も作品へのアプローチもさまざまな5名の作家だが、全体を見渡してみて気付くことがある。それは、信州の風土、自然との関わりの強い作家たちということだ。
幼い頃、捕まえたトンボの内側を見たいがためにその殻を剥くという行為を繰り返したという伊藤純代は、現在も、その当時を追体験するようにリカちゃん人形を刻み、それを材料に再び彫刻作品として生き返らせている。それは、自然のなかでトンボを捕まえ、掌のなかで生と死との循環を転がすという経験を経たからこそたどり着いた表現方法である。
風景や植物などを作品のモチーフとしている伊藤三園、源馬菜穂、平林孝央の作品の多くからは、生まれ育った信州の自然豊かな風景、そしてそれをかけがえのないものだといつしか自覚し、大切に思いながら制作を続ける姿が想像できる。伊藤三園の作品に表現されている草花は美しく咲き誇っており、幼少期から意識せずともそういったものが身近に存在し、親しんでいた様子が伝わってくる。源馬菜穂は、地元を離れ別の場所に居を移し、いろいろな場所を旅して多くのものを見たうえで、改めて自分にとっての一番の場所は、生まれ育った土地の景色や空気であると感じているという。そのうえで描かれるどの作品にも、どこか信州の風景を感じないだろうか。平林孝央は出身地を歩き、道祖神や祠を取材しながら目に留まった木、草などの植物、石や木片などをそのまま作品に描き込み画面を構成している。まさに、信州の風土や自然が作品を作るうえで重要なポイントとなっている。
カミジョウミカの作品は、直接的に信州の風土などが表現されているわけでも、自然との関わりが作風に反映されているわけでもない。だが、その作品を彩る鮮やかな色彩感覚は、カミジョウミカの生まれ育った、安曇平の美しい光によって育まれたものだと感じる。
信州の美しい自然、縄文から続く風土が育んだ5人の作家たち。それらの作品を一望することによって、改めて、信州という土地の恵まれた自然、脈々と続く文化の素晴らしさを再認識することができる。
伊藤純代(1982年~)は、辰野町出身の彫刻家である。彫刻といっても、私たちがすぐに思い浮かべる、たとえば粘土で塑像後に鋳造するブロンズ彫刻のようなものではなく、その材料は細かく切り刻まれたリカちゃん人形であったり、でろりと垂らされた樹脂であったり、一見するとお茶目なポーズをとったかわいらしい雰囲気の作品に見えるが、よくよく見るとその形を成す材料にぎょっとさせられる。しかし、そのギャップによって作品からは目が離せなくなる。
伊藤三園(1994年~)は、伊那市の出身である。大学では版画を専攻していたが、15歳の頃から独学で切り絵作品を制作しており、切り絵と木版画を組み合わせた制作を行っている。切り絵のみの作品もあるが、黒い紙一枚からできているとは思えないほど緻密で、ペンで描いたのではと思わされるような繊細な画面からは、作家の目指すとおり色までも感じられる。
カミジョウミカ(1977年~)は、安曇野市出身で、現在も自宅で制作を続けている。先天性骨系統疾患のため入院していた病院のスタッフの顔をデフォルメして描いたことがきっかけで、独学で制作活動をスタートさせるが、作家自身が制作することに歓びを感じていることが伝わってくるような、見ていて思わず笑みを浮かべてしまうような作品ばかりである。
源馬菜穂(1985年~)は、諏訪市出身の画家である。描き出される作品は、軽やかな筆致とパステルカラーの澄んだ色彩が印象的で、見ている者に画面のなかに吹くさわやかな風や、太陽のやわらかな光までも体感させる。実在の風景をそのまま描くのではなく、一度自分のなかにストックしてからイメージを大切に描くといい、そうやって大切に描かれた作品たちは、鑑賞者自身の大切な場所を想起させ、見ていると不思議とやさしい気持ちになる。
平林孝央(1984年~)も、諏訪市出身の画家である。前述した源馬とは、出身地も年齢も同じだが作風はずいぶん違う。画面内に写実的に描き出された少女たちは、だがしかし非現実的な大きさで大輪の花のうえに寝そべり、豪奢なドレスで森のなかに腰を据える。背景には、出身地で取材した風景が描き込まれているという。少女の客体性や空虚さを表現したいと描き出される少女たちはどこか神秘的で、作家が神社や道祖神などに興味を抱き、そのような存在を創り上げたいと制作を続ける思いが伝わってくるようである。
表現方法も作品へのアプローチもさまざまな5名の作家だが、全体を見渡してみて気付くことがある。それは、信州の風土、自然との関わりの強い作家たちということだ。
幼い頃、捕まえたトンボの内側を見たいがためにその殻を剥くという行為を繰り返したという伊藤純代は、現在も、その当時を追体験するようにリカちゃん人形を刻み、それを材料に再び彫刻作品として生き返らせている。それは、自然のなかでトンボを捕まえ、掌のなかで生と死との循環を転がすという経験を経たからこそたどり着いた表現方法である。
風景や植物などを作品のモチーフとしている伊藤三園、源馬菜穂、平林孝央の作品の多くからは、生まれ育った信州の自然豊かな風景、そしてそれをかけがえのないものだといつしか自覚し、大切に思いながら制作を続ける姿が想像できる。伊藤三園の作品に表現されている草花は美しく咲き誇っており、幼少期から意識せずともそういったものが身近に存在し、親しんでいた様子が伝わってくる。源馬菜穂は、地元を離れ別の場所に居を移し、いろいろな場所を旅して多くのものを見たうえで、改めて自分にとっての一番の場所は、生まれ育った土地の景色や空気であると感じているという。そのうえで描かれるどの作品にも、どこか信州の風景を感じないだろうか。平林孝央は出身地を歩き、道祖神や祠を取材しながら目に留まった木、草などの植物、石や木片などをそのまま作品に描き込み画面を構成している。まさに、信州の風土や自然が作品を作るうえで重要なポイントとなっている。
カミジョウミカの作品は、直接的に信州の風土などが表現されているわけでも、自然との関わりが作風に反映されているわけでもない。だが、その作品を彩る鮮やかな色彩感覚は、カミジョウミカの生まれ育った、安曇平の美しい光によって育まれたものだと感じる。
信州の美しい自然、縄文から続く風土が育んだ5人の作家たち。それらの作品を一望することによって、改めて、信州という土地の恵まれた自然、脈々と続く文化の素晴らしさを再認識することができる。
丸山 綾 (諏訪市美術館)
Summary of the Works of the Artists in the Southern Shinshu Region
The Tatsuno Museum of Art will display the works of five artists including ITO Sumiyo (1982 -) who produces sculptures using Licca-chan dolls and other materials, ITO Misono (1994 -) who creates delicate papercutting works, KAMIJO Mika (1977 -) who produces joyful paintings using vivid colors, GENMA Naho (1985 -) whose works are distinctively characteristic, constituting transparent and beautiful color, with her light touch of painting, and HIRABAYASHI Takahiro (1984 -) whose paintings of girls, which are represented in a realistic way while conveying unrealistic impressions, attract viewers’ eyes. ITO Sumiyo reached her current way of expression through experiences in her childhood to strip the outer shells off dragonflies only from her temptation to see their internal organs, and “play” with life and death on the palm of her hand. ITO Misono, GENMA Naho and HIRABAYASHI Takahiro render the nature of Shinshu in their works. From the works of KAMIJO Mika, we can sense the vivid colors that reflect the beautiful light of Azumino where she was born and raised. We can feel the climate and nature of Shinshu in every work of the artists. They are the very artists who were nurtured in Shinshu and its climate that has continued from the Jomon Period.
Maruyama, Aya (Suwa City Museum of Art)