Document
学芸員テキスト
日本語テキストで読む
Read in English Text
壁を越える
公益財団法人碌山美術館
武井 敏
0.88
まずはこの数字から。
長野県は全国で美術館が最も多い県といわれている。文部科学省の統計調査のデータ(2015年10月1日現在)で確認してみると、長野県は110施設を擁する、全国で最も美術館の多い県であることに間違いない(※1)。以下、東京都(88施設)、静岡県(53施設)と続く。美術館が立て続けに開館・閉館することはないので、この状態はしばらく変わらないだろう。
では博物館全体、つまり総合博物館、科学博物館、歴史博物館、野外博物館、動物園、植物園、動植物園、水族館の総数ではどうか。そうすると長野県362館、北海道335館、東京都300館と続き、長野県はここでも全国一を誇る(ちなみに全国の博物館総数は5,690館、このうち美術博物館の数は1,064館である)。だが、ここからが問題だ。
学芸員・学芸員補の数はいったいどうなっているのか。博物館全体の数でいうと、長野県317人、北海道398人、東京都1,017人となっている。えっ! やけに少なかないか、長野県。一館あたりの学芸員数に換算してみると、長野県0.88人、北海道1.19人、東京都3.72人…。東京都とのあまりの差に、愕然とする。ちなみに、この比率の全国平均は1.53人であり、上位3県は、東京都3.72人、神奈川県2.99人、千葉県2.86人、下位3県は、秋田県0.80人、青森県0.83人、長野県0.88人である。長野県がどうしてこのような結果になっているかといえば、小規模な施設が多いためだ。小規模ならば当然それに応じて、職員の数も少なくなる。あまつさえなかには学芸員を配置していない施設さえある。よって一館当たりの学芸員数がひとりを切ってしまっているのだ。
長野県は、博物館の数だけは全国にその数を誇るものの、一館当たりの学芸員数では全国平均を大きく下回るばかりかワースト3位という非常にアンビヴァレントな現状を抱えているのである。
(※1) 全国の美術館数、博物館数については、2015年度社会教育調査統計表の「博物館調査(博物館)」のうち「95種類別博物館数」と「博物館調査(博物館類似施設)」のうち「123 種類別博物館類似施設数」を合算した。学芸員数については、「97 博物館の職員数(都道府県別)」と「125 博物館類似施設の職員数(都道府県別)」を合算した。博物館調査は、http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001087265&cycode=0、博物館類似施設は、http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001087266&cycode=0をそれぞれ参照。
心の豊かさ
もうひとつ、こんなデータもある。
国勢調査を集計した文化庁の文化芸術関連データ集の「6 文化に対する意識①(重要性)」によれば、国民の約6割が「物質的にある程度豊かになったので、これからは心の豊かさやゆとりのある生活をすることに重きをおきたい」としている。この傾向は1980年代から続くもので、とくにここ20年は、約6割が心の豊さを、約3割が物質的な豊かさを求めることは変わっていない(※2)。
心の豊かさを求める傾向は近年さらに高まっているように思う。というのは、近頃、消費は「モノ」から「コト」へ変わったといわれているからだ。購入した商品の所有に価値を見出す「モノ消費」ではなく、購入した商品から得られる体験やサービスに価値を見出す「コト消費」が重視されるようになったという。「断捨離」が流行語に選ばれたことも、もはや「モノ」ではなく「コト」に国民意識が向かっている現われとみることもできよう。こうした意識変化を促しているもののひとつに、スマートフォンに代表されるようなIT技術の革新があるように思う。電子書籍、音楽のストリーミングの登場は、われわれを本やCDの所有から解放した。所有しなくなったといっても、読まなくなったり聴かなくなったわけではない。相も変わらず僕らは求めている。美しいもの、変わったもの、新しいものを。僕らはそういうものを観てみたいし、聴きたいし、味わいたいのだ。
(※2)http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/seisaku/11/03/pdf/kijyo_2.pdf参照。なお、約9割が、日常生活のなかで、芸術を鑑賞したり、文化活動を行ったりすることを「非常に大切」あるいは「ある程度大切」としている。
価値の多様化
世界全体ではどうかわからないが、日本では近年芸術家の数が微減に転じたそうである(※3)。作家の数が減ったから作品の数が減るかといえば、そうではない。むしろ、作品の数は増えているのではなかろうか。というのは、新たに作品として扱われるようになったものが増えてきているからだ。たとえばアール・ブリュットのように、かつては美術史の文脈で取り上げられることのなかった作品に光が当てられはじめている。また、これまであまり展覧会のテーマとされてこなかったマンガやアニメなどの企画展あるいはそのタイアップ企画が増えてきている。2016年から17年にかけて、巡回したルーヴル美術館の特別展「Louvre No.9:漫画、9番目の芸術」も記憶に新しい。価値の多様化が叫ばれる時代にふさわしく、多様な作品が認められるようになってきた。
新たな作品が生み出され、新たなジャンルが開拓される。観たい/知りたい/聴きたいなどの好奇心も増大している。作品を供給する側と需要する側の間に立って、それをとりなす学芸員という存在。この現状にあって、全国的にみると一館当たりの学芸員数が少ない長野県の場合、時代の要求に応えていくにはかなり不利なように思える。だが待てよ。東京都の人口は長野県の6倍、作家は都市部に集中して在住している。この状況を踏まえれば、都市部の方がかえって学芸員が不足しているともいえ、長野県の学芸員が際立って不遇というわけでもなさそうだ。
(※3)注釈1と同調査内「33 我が国の「芸術家人口①(職業別、年齢別)」参照。
キュレーション
近頃「キュレーション」は、インターネット上の用語として使われるようになってきている。無尽蔵な情報にさらされた現代の導き手として、キュレーション(情報をまとめ、提示する)の力が必要とされているためだ。キュレーション(curation)はもともと博物館業界で使われる言葉である。キュレーター(curator 学芸員)はもう少しなじみがあるかもしれない。キュレーションとは、学芸員の仕事のひとつで、ひと言でいえば、あるテーマのもとに資料を選び、展示すること。美術館の場合、あるひとりの作家の画業を振り返ったり、また作家の知られざる側面にスポットを当てることで新しい作家像を提示したり、さまざまな作品を展示するなかで現代の社会問題を提起するなど、総じてなんらかの視座を提供することが多い。
どうまとめるか。それが一番の問題だ。どうまとめて、どのように鑑賞者に提供するかについては、もともと取り組んできたことではあるとはいえ、時代の趨勢を受けて、あらためて意識を強くすることが求められているように思う。
ところでキュレーターの語源は、ラテン語の「curare(世話をするの意)」にあるという。その語源の意味合いは現代にもこだましており、作品の管理・保護・展示、解説文の執筆はいうにおよばず、ときには展覧会の資金集め、小規模な施設だとトイレ掃除や庭木の剪定さえ学芸員の仕事になっており、世話することの多さから俗に「雑芸員」と自嘲されることもある。マルチな働きが期待される職種であるが、そんなに人間は万能じゃない。得手不得手だってある。それでもますます多様化していく価値、新しいテクノロジーの導入にともなう業務上の変化、そういったものへの対応が求められるため、機会に応じて個々のさまざまなスキルを拡張させていく必要がある。これがひいては展覧会の質を向上させ、人びとに感動や癒しを届け、心の豊かさに資することになるだろう。
では、どのようにしてスキルを拡張していくか? 各種の研修会への参加することも有用だろう。ただ研修会などで身に付けたノウハウが即座に役立つような場面にはなかなか出くわさない。発生する問題は、どちらかといえば、いつも思いもよらないものばかりだ。こういったことにすばやく対応するときにありがたいのが、周囲の人の知恵や経験である。自館に同僚の学芸員がいれば気軽に相談できるが、いない場合、頼りになるのは他館の学芸員とのつながりである。
シンビズム
開催の半年前に書いているため、実際作品を観ておらず、作品批評もできようもないが、手もとの写真資料などをみるかぎり、新たな視覚体験に期待が持てそうだ。それにしても十人十色。20人の作家の技法やジャンルはもちろん、モチーフ、美術への向き合い方などまったくちがう。共通点といえば、長野県にゆかりのある、これからの活躍が期待される作家たちということぐらいだ。この多様さは20人の学芸員の興味の幅広さが反映しているのだ。聞けば、みんな実にさまざまな芸術のジャンルに興味があって、好きな作家や注目している作家も全然ちがう。
作品の多様さに学芸員のテイストの多様さが相まって、広がりと奥行きのある展覧会となるような気がする。これが本展の一番の特色だろう。
複数会場の同時開催で、複数の作家を取り上げる点においては、昨今全国で流行の「芸術祭」「トリエンナーレ」のようにみえる。ただ多くの芸術祭は地域振興を念頭に置いており、いうなれば作品をその道具としているわけだが、本展はまず作品ありきのものだ。また、美術館で作品を展示するというと、美術史の文脈に作品を組み込み、意味づけ、歴史化していくようであるが、そこまで肩肘のはったものでもない。本展は、ちょうど芸術祭と美術館展示の中間をいくような取り組みといえるだろう。
今回は県内ゆかりの若手作家に限定した点で、若手支援という意味合いが必然的に付随しているが、本展の核にあるのは、新しい視覚経験を通して感性に訴えてくるような作品を多くの人に観てもらいたいという、美術を心から愛してやまない学芸員の思いである。作品を集めただけでまとまりがないかもしれないが、「この作品をみんなに観てもらいたい」という素直な気持ちに立ち返って、その気持ちを大事にしながら展覧会を開催することは、ついつい忘れてしまいがちなマインドを呼び覚ましてくれる、格好の機会となったといえるだろう。
長野県は同じ県内でも文化のちがいをまざまざと感じる地域があるし、面積が広いことに加え未発達な交通網も手伝って、縁遠く感じる地域がある。こうした物理的な壁のためか、学芸員同志の交流は少ないように思う。今回そうした壁を越えて結ばれたつながりは、われわれの新しい財産とも呼べるものだ。このつながりは、今後の作家の活躍や学芸員の能力拡大に役立ってくれるはずだし、ひいては国民の心に豊かさを届けてくれることになるだろう。
未参加館との連携、展示作品の選出方法など、検討すべき課題とも、試してみたいことともいえるものがあるにはあるが、ひとまずはこのネットワークの誕生を喜びたい。
Breaking Down the Wall
Rokuzan Art Museum
Takei Satoshi
Nagano Prefecture has more art museums (110) than any other prefecture in Japan. Speaking of all types of museums in total, there are 362 in Nagano. Hokkaido has the second largest number of museums, totaling 335. Tokyo follows Hokkaido, having 300 of them. (Just for your information, there are 5,690 museums in Japan. Of them, 1,064 are art museums.)
However, the number of curators and assistant curators in Nagano is surprisingly few. The average number of curators per museum is only 0.88, which means there are some museums without any curators. On the other hand, Hokkaido has 1.19 curators per museum, and Tokyo has 3.72 per museum. It is no wonder if someone compares the average number of curators in Nagano to that in Tokyo, he or she will be astonished. The national average is 1.53 curators per museum, and Nagano’s average number is the third from the lowest. Museums in Nagano are generally small and, since there are only a limited number of museum personnel, Nagano suffers from a lack of curators. Nagano is proud to have so many museums, but they are impaired because of the few number of curators, creating a difficult state of affairs.
It is appropriate to this era in which diversification of value is espoused, that various kinds of art are recently gaining acceptance. For instance, museums in Japan have begun holding exhibitions of art brut, manga, animation and so on. A growing number of people have an increased curiosity of seeing, knowing, and listening to the music that compliments the art. Curators mediate between those who supply and those who demand the art. Choosing and displaying the art have been thoroughly thought out, but current changes force us to think of a curator’s role differently. We have to be more sensitive to information and develop various kinds of new skills when the opportunity presents itself. As there are so few curators in Nagano’s museums, we need to address this change earnestly.
Although creating this new network will not solve all the problems each museum faces, there is no doubt, it will give curators a wonderful chance to develop new skills since they can now exchange new information and absorb each other’s knowledge and experiences. Curators can acquire a better view of various kinds of art and expand the possibilities in the display of art in each of their museums and improve the quality of their exhibitions. Such curators, I’m sure, not only help artists to grow but also, as a result, inspire and heal the exhibition-goers while enriching their minds and souls.