Document
学芸員テキスト
日本語テキストで読む
Read in English Text
シンビズム
−ミュージアム・ネットワークの推進と信州の美術館の価値-
木曽町教育委員会
伊藤 幸穂
はじめに
「シンビズム」は画期的な展覧会である。美術評論家である本江邦夫氏が長野県芸術監督となって初めて指揮をとり、全県下から参加した学芸員20人がひとりずつ信州ゆかりの現代作家を推薦し、4会場で20人の作品を同時展示する、実験的なグループショウなのだ。
注視すべき点をふたつ挙げるとすれば以下の内容になる。ひとつは、基本的には学芸員の主体性と能力に信を置き、プレイヤーとなり県内4会場ではそれぞれ個性的な展示を行うことだ。まさに20人の作家のショウであると同時に20人の学芸員の展示へのこだわりや美意識も示す場なのだ。
もうひとつは各館・各機関の担当者同士のネットワークの推進と構築を目的としていることである。全員で展覧会の実務的なプロセスを共有し議論をし、学芸員同士のつながりを深め、互いの資質向上を目指す。
そこで本稿では出品作家についての詳しい論説は各担当学芸員の論考に任せるとし、事業の途中経過と特徴をやや詳しく述べる。次にシンビズムを取り巻く環境、本展の全体像について考え、最後に信州の美術館の価値について記述したい。
1.本江邦夫監督とワーキンググループ会議
2016年11月25日、本ワーキンググループ(以下WG)は動き出した。同日、会議の発足に先んじて本江邦夫監督による講演会と座談会が松本市のキッセイ文化ホールで行われ、参加者が積極的に館の課題や連携についての意見や希望などを話し合った。信州の美術館、信州ゆかりの作家とのつながりも深い本江監督は、自身の経験のなかから、望ましい学芸員同士の交流の姿などを熱く語り、県下の学芸員同士が目指すべき理想の姿を「美的共同体」ととらえて交流を呼びかけた。
その後、WGメンバーは初めて全員が顔を合わせ、事業の全体計画について協議を開始した。こうして、原則全員出席の公式会議5回に加え、各ブロックでの自主的に集まっての会議や交流、メールや電話での情報交換などを密に続けることとなった。本江監督は会議にはその都度東京から参加し、WGも毎回全県下から集合した。会場も第1・2回目こそキッセイ文化ホールだったものの、3回目は木曽町御料館で、4回目は東御市の丸山晩霞記念館だった。メンバーのなかから議長と副議長、4地区にそれぞれリーダーを置き、早速に調整能力を発揮していた。
会議のおもな議題は①出品作家の調査と選定、②コンセプトの設定とメインタイトルおよびサブタイトルの決定、である。①では、通常取り上げる機会の少ない若手作家を推薦できると多くのメンバーが意気込んだ。②についてはメインタイトルの決定で意見が割れた。全員が案を提出したなかで、県歌にちなんだ「信濃の國は芸術(アート)の國」と「信美ism」などが候補に残った。そしてじっくり検討し「学芸員が横断的につながっていること」と強調しやすく意味を拡げやすい「シンビズム(※1)(信州の美術の主義)」に決定した。
「シンビズム」は「○○の主義」と訳すことのできる造語である。この展覧会はひとつの成果として社会にアピールしていかなくてはならない運動や方針でもあるのだ。こうした経過を辿り、実際にアピールとしてWGが行ったのが第5回会議兼「シンビズム展記者発表」だった。次に内容を報告する。
(※1)「信美」が長野県信濃美術館を指すニックネームだったため、配慮をして漢字表記を避けた。
2.第5回会議(「シンビズム」記者発表)
2017年5月18日(木)長野市。この日、長野県庁近くに集まったWGは、あたかも試合前の選手のように本江監督からアドバイスをもらい、会見への気持ちを整えた。首尾よく準備を終えた(※2)「シンビズム選手団」は、出品作家代表と事務局合わせて総勢30名余りになった。
午後2時からの開始に合わせ、いよいよ県庁3階会見室へ向けて歩む。報道陣はどれくらい来ているだろうか、期待と不安が入り混じる。緊張のなか、会場を見渡した。すると広い部屋には既に記者とテレビカメラを構えた報道陣約30名が待っていた。
会見では本江監督の挨拶と概要説明のあと、先陣を切ってWG議長がコンセプトを語った。次に東信リーダーが出品作家を発表した。その後はひとりずつメンバーが自分の所属先や館の魅力や特徴、担当作家について熱心にアピールし、作家代表も意気込みを語った。県庁での会見はWGの誰もが初めての舞台だったと思う。
結局予定を延長し2時間にもおよぶプレゼンテーションになった。勤務経験や年代、所属機関もさまざまであるが同じテーマで結ばれた学芸員として足並みを揃えて立つ姿は、一般の方に対しても訴えかけるものがあったのではないだろうか。夕方、長野県内のニュース番組では、早速にわれわれの顔がお茶の間に流れ、翌日新聞にも掲載された。
(※2)展覧会オリジナルのロゴマークが入った「SINBISM」バッチを身につけた。学芸員はグリーン、作家がピンクだった。
3.シンビズムを取り巻く環境と本展の全体像
次に、出品作家20人(※3)と、WGを取り巻く環境ついて考えたい。本県には現代作家が非常に多く存在している。今回の作家選考基準は①長野県にゆかりのある人、②芸術的クオリティが高いと判断できる人、だったが候補者の数は最初倍近くおり、30〜40代くらいというおおよその年齢のくくりを加えても現実的に出品可能な人材は十分だった。また、WGを取り巻く環境について感じるのは、公立・私立や所属機関の規模に左右されず、美術館や博物館の活動を積極的に取り上げる報道機関、情報誌の姿勢があることだ。全国1位という数多くの美術館を保持できるのも、多様な活動を取り上げる記者が多く存在していることと関係しているのではないだろうか。それらの情報をキャッチして文化を享受し、支えようとする県民が多く存在することが背景にあるだろう。
では、出品作家と本展の全体像を見渡してみたい。それぞれの作家は信州と絡んだ魅力的な人生を歩み、現代の多様性に富んだ表現を追求している。おもなテーマとしては「光と影」「生命と形象」「自然と時間」などがあげられる。いずれも根源的な深いテーマだが、ときに内省的に、また鋭敏な感性でそれぞれの手法で真剣に立ち向かっている。信州に生まれて、または引き寄せられている彼らの特徴は、現状の否定を叫ぶよりまず自らのなかから生まれたテーマを大事にして、自らの使命感に燃えて進み続けていることではないだろうか。豊かな自然や前述の環境の良さなどを存分にいかし創作を行っており、それらの表現の根底には不思議と軽やかな希望が感じ取れる。信州を代表する前衛芸術家、草間彌生や松澤宥にも比肩する作家へと飛翔することを期待してやまない。
(※3)ちなみに出品作家の出身地および出身学校については、20人のうち、出生から青年期までを信州で過ごした作家は12人だ。県外出身であるが学生時代を信州で過ごした作家はふたりだった(ひとりは信州大学、もうひとりは長野県上松技術専門校である)。残りの6人は成人以後で創作活動の拠点として信州を選んでいる。
4.信州の美術館の価値
繰り返しになるが信州の美術館の数は確かに全国1位である。老舗美術館が現在も精力的に活動中だ(※4)。しかし数が多いだけではなく、どれほど高い価値があるかについて、もっとアピールすべきだと思う。
たとえば、筆者が初めて信州の美術館の魅力を知ったのは実は1990年だった。
その年の春、筆者は隣接する岐阜県内にある高校の美術科に入学し、早々に熱心な教諭の指導を受けていた。さらに厳しいデッサン修練への動機付けと、未来の芸術家を育てる種をまくため、夏休み恒例の「信州美術館研修旅行」に参加した。
バスで美術館をひたすらめぐるオリジナルツアーだ。当時の旅程を記す。【1日目:岐阜市を出発→北澤美術館(※5)→美ヶ原高原美術館→碌山美術館(泊まり)。2日目:長野県信濃美術館→信濃デッサン館→軽井沢高輪美術館(※6)→帰路へ】。諏訪、松本、安曇野、長野市、上田、軽井沢の6地区はそれぞれまったく地域性がちがっており、公私立問わずどの館も個性的で強烈な印象だった。また、芸術とともに景色や天候、夜空や風など、美しく楽しい体験はかけがえのない財産になった。それまでは信州といえば山岳地帯のイメージが強かったが、大自然とともにこれだけの質の高い芸術が堪能できることに驚愕した(※7)。
信州の美術館の存在は、多くの人びとを魅了し続けている。そして優れた芸術家や鑑賞者を長年育てているのだ。長野県が、非三大都市圏でも海なし県でも「万よろず足らわぬ事ぞなき」といえる所以ではないか。
(※4) 県内の公立美術館で最も歴史があるのは諏訪市美術館で、全国でも公立としては5番目に古い(1956年開館)。次いで長野県信濃美術館(1966年)、辰野美術館(1978年)の開館も古い。
(※5) 事前に「アールヌーボー」について調べてくるように宿題が出ていた。
(※6) このとき、企画展「アンドリュー・ワイエス/ヘルガ」が開催されていた。この翌年にセゾン現代美術館に改称された。
(※7) この旅行がきっかけとなり、筆者は7年後には美術館学芸員として信州に移り住んだ。また、このときの同級生のあるものはデザイナーになり、美術教師になり、日本画家として国内外で活躍する作家もいる。
5.結び
あくまで筆者の場合と限定するが、信州の私立美術館に勤務した10数年間、「生息地=美術館」だった。ほぼ「ワンオペレーション」状態が続いた時期もあったし、自主的に外との交流をあまり持たなかったために、いつしか孤独感を抱えてしまったことは否めない。
もちろん同じ職場で30年以上、トップランナーとしてひとりで走り続けながら成果を発揮している方もいるだろう。地域活動と学芸員の仕事を見事に両立する人もいるにちがいない。WGには、自治体の課長や係長として業務をこなしながら参加している人もいる。しかしいずれにしても学芸員が自ら積極的に外に出ていき、仕事に理解を求めていかなくては、意外と閉鎖的になりやすい職種であると思っている。そのような状況を回避するためにはミュージアムのネットワーク化を推進することが重要であると考える。本展が終わってからも、貴重な経験とネットワークを通常業務にいかすことができれば、新しい取り組みが成功したといえるはずだ。
本事業当局は個性的で条件や環境の異なる多様なミュージアムを省略化せずつないでいこうと試行錯誤している。広い県内には学芸員がひとりの施設は少なくない。全体的な地位向上のためにも横のつながりを持つために外に出ることが必要であると思う。学芸員が積極的に全面に出る仕掛けや風潮がもっとあるとありがたい。そして県民の方々には身近な出来事として「シンビズム」に関心を持っていただき、信州の美術館やゆかりの作家が素晴らしい存在であることを誇りに感じてほしい。県外の方には全国的にも新しい取り組みとしてぜひ注目していただきたい。
Shinbism - Promotion of the Museum Network and the Value of Museums in Shinshu
Kiso-machi Board of Education
Ito Sachiho
Introduction
“Shinbism - Twenty artists, selected by the Shinshu Museum Network” is an epoch-making exhibition. One reason is that it’s a project that Mr. Motoe Kunio has conducted for the first time since he was chosen as the Art Director of the exhibition. Another reason is that it’s a group exhibition being held simultaneously at four venues. Twenty curators, each from twenty different museums, selected only one artist respectively. This exhibition is also an attempt to promote the network of curators among the different museums.
Motoe Kunio - Art Director, and the Shinbism Working Group Members of the Working Group, which was organized in November 2016, have communicated with each other using the mailing list, holding meetings among members belonging to the same venue and corresponding personally by e-mails, in addition to regular official meetings which were held five times. “Shinbism” stands for “the essence of beauty in the art in Shinshu”. At the same time, it also represents “new art” and “true art.”
On May 18, 2017, the members of the Working Group, exhibitors along with office staff, thirty people in total, lined up in the interview room which located on the third floor of the prefectural office building, and the curators gave presentations for introducing the exhibition and the artists. About thirty people from the press gathered there, and the interview was shown on TV and read in press news the same evening in Nagano Prefecture, which made an appeal for the project as a pioneer exhibition to society.
The Environment of Shinbism and a View of the Exhibition There are a great number of Shinshu-based artists, and the environment surrounding them and the museums is conducive to the creation and exhibition of art. When surveying the works of the twenty exhibitors of Shinbism, the main themes they dealt with seemed to be “light and shadow,” “life and figures,” “nature and time” and so on. Each of the themes is a fundamental part of our lives, and the artists seriously face them in their respective ways with their keen sensibilities, expressing introspection as well. A common characteristic among them could be that they continue to endeavor to fulfill their mission, focusing on self-originated themes they cherish individually. In addition, I perceived rays of hope emanating deeply from their works.
The Value of the Museums in Shinshu Nagano Prefecture has the most museums among all the prefectures and other districts in Japan. There is a wealth of original museums and collections in Shinshu which reflect the different areas and their individual tastes. So, the art tours around museums throughout Shinshu must give audiences a precious experience, which big cities cannot provide. Moreover, they also offer excellent chances for future artists and art connoisseurs by encouraging their talent.
Additionally, there are a lot of museums having only one curator. Because the curators deal with all kinds of affairs related to the exhibitions, it’s important that all the museums are linked together to prevent them from isolation. The “Shinshu Museum Network Project” plays an important role in this respect as well. I really wish that the inhabitants of Nagano Prefecture will be proud of the museums and the artists in Shinshu, and the people outside Nagano Prefecture will pay much more attention to this pioneering and unique project in Japan.