浮かびあがるおぞましいリアル
KODA Yoji
絵画
甲田 洋二
KODA Yoji
絵画
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青梅のこの地に移り、半世紀になります。
当時、かなり不便な地でありました。しかし山懐故か、緑豊かで静かなことが、何よりの魅力でした。山からの風と多摩川からの風が涼を運んでくれ、クーラーのいらぬ夏を過ごすほどでした。
そんな場所に、住民としては突然、高速道路(圏央道)の工事計画が打ち出され、当局と諸々のやりとりの末、結局、予定どおりに工事がはじまりました。
納得いかぬ事柄を引きずりながら、画家としていま、何ができるのかを思い、平凡すぎる結論として、工事現場のスケッチを可能な範囲で続けようと決心したのでした。
当時、かなり不便な地でありました。しかし山懐故か、緑豊かで静かなことが、何よりの魅力でした。山からの風と多摩川からの風が涼を運んでくれ、クーラーのいらぬ夏を過ごすほどでした。
そんな場所に、住民としては突然、高速道路(圏央道)の工事計画が打ち出され、当局と諸々のやりとりの末、結局、予定どおりに工事がはじまりました。
納得いかぬ事柄を引きずりながら、画家としていま、何ができるのかを思い、平凡すぎる結論として、工事現場のスケッチを可能な範囲で続けようと決心したのでした。
It’s been half a century since I moved into this area of Ome, Tokyo.
At the time, it was a very inconvenient place to live. However, maybe because it was surrounded by mountains, it was abundant with nature, and quiet, which had a unique appeal for me. The wind from the mountains and the Tama River brought us cooler air, so we could spend our summers without air conditioners. Suddenly, our peaceful life was interrupted, as a construction plan for the Metropolitan Center-City Expressway was announced to the residents and, after failed the negotiations with the authorities, construction began according to plan.
Filled with unagreeable feelings, I asked myself what I could do as a painter and decided to continue sketching the construction site as much as I could, though it might seem to be an overly mundane reaction.
At the time, it was a very inconvenient place to live. However, maybe because it was surrounded by mountains, it was abundant with nature, and quiet, which had a unique appeal for me. The wind from the mountains and the Tama River brought us cooler air, so we could spend our summers without air conditioners. Suddenly, our peaceful life was interrupted, as a construction plan for the Metropolitan Center-City Expressway was announced to the residents and, after failed the negotiations with the authorities, construction began according to plan.
Filled with unagreeable feelings, I asked myself what I could do as a painter and decided to continue sketching the construction site as much as I could, though it might seem to be an overly mundane reaction.
主な経歴
Career
- 1939
- 長野県上田市生まれ
- 2006
- 武蔵野美術大学学長
- 2010
- 武蔵野美術大学名誉教授
主な作品発表歴
Release
- 1969
- 第5回個展「the sea god’s palace」(シロタ画廊/東京都)
- 1972
- 第6回個展(シロタ画廊/東京都)
- 1979
- 第9回個展(シロタ画廊/東京都)
- 1980
- 第23回安井賞展(西武美術館/東京都)
第24回「シェル美術賞展」
- 1981
- 第10回(シロタ画廊/東京都)
- 1983
- 第12回個展(シロタ画廊/東京都)
- 1984
- 第27回安井賞展(西武美術館/東京都)
- 1985
- 第13回個展(日辰画廊/東京都)
- 1986
- 第29回安井賞展(西武美術館/東京都)
- 1987
- 「甲田洋二展」(青梅市立美術館/東京都)
- 1988
- 第14回個展(日辰画廊/東京都)
- 1989
- 第32回安井賞展(西武美術館/東京都)
第15回個展(ギャラリー門/東京都)
- 1991
- 第17回個展(日辰画廊/東京都)
- 1993
- 第18回個展(紀伊国屋画廊/東京都)
- 2000
- 第20回個展(画廊岳/東京都)
- 2002
- 第22回個展(青梅市立美術館/東京都)
- 2004
- 第24回個展「Y氏の場合=圏央道・私的観察絵日記…風景・犬」(シロタ画廊/東京都)
- 2007
- 文化講演会「Y氏を語る」(上田創造館文化ホール/上田市)
- 2009
- 個展「甲田洋二の世界」(上田創造館/上田市)
特別展「甲田洋二―私小説的空間」(信州新町美術館/長野市)
- 2010
- 第27回個展(調布画廊/東京都)
「武蔵野美術大学教授退任記念 甲田洋二展」(武蔵野美術大学12号館地下1階展示室/東京都)
- 2016
- 第25回個展(ギャルリー志門/東京都)
- 2018
- 第26回個展(ギャルリー志門/東京都)
情報
Information
Event 2019/10/19 (土)
終了しました甲田 洋二ギャラリートーク
13:30~14:15
上田市立美術館
Event 2019/10/12 (土)
終了しました【イベント中止】[上田市立美術館] オープニング・ギャラリートーク
一般財団法人長野県文化振興事業団・長野県では、長野県内でも台風19号の影響が予想されることから、10月12日(土)午後1時30分より上田市立美術館会場にて開催を予定しておりました「シンビズム3 オープニング・ギャラリートーク」は中止とさせていただきます。
なお、シンビズム3展をはじめ同館の展覧会は通常どおり開催をいたします。
News 2019/09/20 (金) 更新
[東信会場]上田市立美術館と出展作家情報を更新しました。
浮かびあがるおぞましいリアル
学芸員の解説
長野県上田市(旧小県郡中塩田村)出身の画家・甲田洋二。現在は東京都青梅市在住。いままで公募展にはほとんど関わらず、個展を中心に活動を続けている。甲田は人間の内に潜む狂気や、現代社会の混沌を冷静な目で俯瞰する。影響を受けた作家のなかにフランシス・ベーコン、ホルスト・ヤンセン、パウル・ヴンダーリッヒなどの名前が挙がり、かつては制作テーマのなかに〝強迫性密室願望的な状況〟というキーワードがあったというが、徐々にテーマが広がり、作品にも円熟味を増している。
今回の出展作品の中心は「Y氏の場合-High Way Dream」と名付けられた一連の作品で、圏央道建設工事の観察記録を作品へと昇華させたものである。たとえば《Y氏の場合-High Way Dream(きえたいえ)》では橋脚と家という具体的なモチーフが選ばれている。
建設途中の橋脚がそびえ立ち、むき出しの鉄筋が不気味さを増し、SF映画に出てくる異世界の建造物のようなイメージも浮かぶ。その足もとには黄色い炎か、あるいは鉄筋から発せられる雲のような物体が家いえを〝けして〟いるのかもしれない。高速道路の橋脚を象徴にした誰にも止めることができない現代社会の傲慢さが、人びとの〝生活〟や〝生命〟を象徴する〝いえ〟を脅かしているのか。顔料はアクリルが使われているが、発色による軽さが抑えられ、厚みのあるリアルな感触を伝える。一方で空間は風景画のような奥行きではなく、ポスターのようにフラットな処理がされ、その構成と色によって作品の印象をより強めている。この作品に限らず、余白と空間の使い方も甲田作品の魅力のひとつだ。
どのようにしてこの作風ができあがったのか少したどってみる。生まれは山間の農村、小学校に入学したのは敗戦の翌年。少年期は労働力として農地解放後の1000坪弱の田畑に駆り出され、汗まみれ、泥まみれの農作業。自然の営みが身体に染み込んだ。アート・芸術への道を決定づけたのは、上田松尾高校(現上田高校)での美術部。「校内にあって治外法権化した」その空間は、少年にとって想像もつかない異世界だった。美大浪人が朝から石膏デッサンを懸命に行い、公募展に出品するような大人も学校のフェンスの隙間から入ってきた。美術の情報拠点にもなっていたこの場所で、日々創り、描いていくうちに「全身で打ち込める世界は〝これ〟なのかと思えてきた」という。その後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)進学とともに信州を離れるが、山間での生活と高校時代の経験によって、懐深く柔和、それでいて気骨ある作家の気質が形成されたにちがいない。
氏は影響を受けた展覧会に、1966年に行われた「現代アメリカ絵画展」を挙げている。マーク・ロスコ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタインなどのアメリカンポップアートは、普段の日常生活から生ずる、一見なんでもない事象を絵にしていることに衝撃を受けたという。その時期、甲田自身もデカルコマニーのようなアブストラクトな作品も制作していたというが、当時の日本ではまだ懐疑的であったアクリル絵の具を使いはじめ、現在に続いている。
現在の絵画スタイルのはじまりは77年のドイツ留学以降。このとき、北方ルネッサンスを中心にヨーロッパ14ヵ国の美術館をめぐった。とくにマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイムの祭壇画には、キリスト教(宗教)とは遠い立場の人間にも絵画としての大きな意味を感じたという。制作よりも作品をみて考える時間が多かったというが、より自身の内側に深く目を向けた作品へと変化する。
なるほど、信州の山間とアメリカンポップアート、ドイツ留学での思索が混ざりあった結果、なんとも特異なスタイルを生み出したのである。
武蔵野美術大学学長を2期に渡って務め、その後は名誉教授。そして不穏でショッキングな絵画。しかし本人はそのイメージとはギャップを感じるほど、気さくで、飾らない。80歳になる現在も、かつて信州の山間の町で目覚めたアートへの情熱を忘れることなく制作に挑んでいる。
今回の出展作品の中心は「Y氏の場合-High Way Dream」と名付けられた一連の作品で、圏央道建設工事の観察記録を作品へと昇華させたものである。たとえば《Y氏の場合-High Way Dream(きえたいえ)》では橋脚と家という具体的なモチーフが選ばれている。
建設途中の橋脚がそびえ立ち、むき出しの鉄筋が不気味さを増し、SF映画に出てくる異世界の建造物のようなイメージも浮かぶ。その足もとには黄色い炎か、あるいは鉄筋から発せられる雲のような物体が家いえを〝けして〟いるのかもしれない。高速道路の橋脚を象徴にした誰にも止めることができない現代社会の傲慢さが、人びとの〝生活〟や〝生命〟を象徴する〝いえ〟を脅かしているのか。顔料はアクリルが使われているが、発色による軽さが抑えられ、厚みのあるリアルな感触を伝える。一方で空間は風景画のような奥行きではなく、ポスターのようにフラットな処理がされ、その構成と色によって作品の印象をより強めている。この作品に限らず、余白と空間の使い方も甲田作品の魅力のひとつだ。
どのようにしてこの作風ができあがったのか少したどってみる。生まれは山間の農村、小学校に入学したのは敗戦の翌年。少年期は労働力として農地解放後の1000坪弱の田畑に駆り出され、汗まみれ、泥まみれの農作業。自然の営みが身体に染み込んだ。アート・芸術への道を決定づけたのは、上田松尾高校(現上田高校)での美術部。「校内にあって治外法権化した」その空間は、少年にとって想像もつかない異世界だった。美大浪人が朝から石膏デッサンを懸命に行い、公募展に出品するような大人も学校のフェンスの隙間から入ってきた。美術の情報拠点にもなっていたこの場所で、日々創り、描いていくうちに「全身で打ち込める世界は〝これ〟なのかと思えてきた」という。その後、武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)進学とともに信州を離れるが、山間での生活と高校時代の経験によって、懐深く柔和、それでいて気骨ある作家の気質が形成されたにちがいない。
氏は影響を受けた展覧会に、1966年に行われた「現代アメリカ絵画展」を挙げている。マーク・ロスコ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタインなどのアメリカンポップアートは、普段の日常生活から生ずる、一見なんでもない事象を絵にしていることに衝撃を受けたという。その時期、甲田自身もデカルコマニーのようなアブストラクトな作品も制作していたというが、当時の日本ではまだ懐疑的であったアクリル絵の具を使いはじめ、現在に続いている。
現在の絵画スタイルのはじまりは77年のドイツ留学以降。このとき、北方ルネッサンスを中心にヨーロッパ14ヵ国の美術館をめぐった。とくにマティアス・グリューネヴァルトのイーゼンハイムの祭壇画には、キリスト教(宗教)とは遠い立場の人間にも絵画としての大きな意味を感じたという。制作よりも作品をみて考える時間が多かったというが、より自身の内側に深く目を向けた作品へと変化する。
なるほど、信州の山間とアメリカンポップアート、ドイツ留学での思索が混ざりあった結果、なんとも特異なスタイルを生み出したのである。
武蔵野美術大学学長を2期に渡って務め、その後は名誉教授。そして不穏でショッキングな絵画。しかし本人はそのイメージとはギャップを感じるほど、気さくで、飾らない。80歳になる現在も、かつて信州の山間の町で目覚めたアートへの情熱を忘れることなく制作に挑んでいる。
清水 雄(上田市立美術館)
Exhibition Artists & Hall
Ueda City Art Museum
2019/10/12 - 2019/11/10
終了しました。
上田市立美術館
- 〒386-0025
長野県上田市天神3-15-15 サントミューゼ内 - [電話番号]0268-27-2300
- [開館時間]9:00~17:00
- [休館日]火曜休(祝日の場合は翌日)
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出展作家
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