眞板雅文 ―記憶につながる作品―
MAITA Masafumi
インスタレーション、彫刻
眞板 雅文
MAITA Masafumi
インスタレーション、彫刻
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…(前略)やりきれぬ時、疲れた時、退屈な時、建物に続く深い森が内蔵する自然は救いでした。
栗鼠、兎、鳥、蝶、黒苺、茸、林檎、栗等、野生の動植物との出会い、枝を折ったり、削ったり、枯葉を掻き寄せたり。(中略)
ヴェネチア・ビエンナーレの帰り、三年半ぶりに立寄った巴里で、早速出掛けて行ったのは、ここブリニーの森でした。
幼時から今に至る種々の記憶のなかには、そのままのものもあり、時の変化で異質になってしまったものもあり、美化されたり、怪しげで曖昧なものもあります。
これから先、変化するものもあるでしょう。それ等が、作品に影響をもたらしていくことは否めません。今迄、素材にしても、必死に考え出すようなことは無く、日常生活の延長の一部でありました。
そのためでしょうか、日々の生活環境自体が重要で、其の場、其の時、出来る限りの取捨選択をしています。こうして、ノラはノラなりの彷徨を続けることになりましょう。
『美術手帳 418号 「ノラの彷徨」』(1977年3月、美術出版社、p.167)より抜粋
栗鼠、兎、鳥、蝶、黒苺、茸、林檎、栗等、野生の動植物との出会い、枝を折ったり、削ったり、枯葉を掻き寄せたり。(中略)
ヴェネチア・ビエンナーレの帰り、三年半ぶりに立寄った巴里で、早速出掛けて行ったのは、ここブリニーの森でした。
幼時から今に至る種々の記憶のなかには、そのままのものもあり、時の変化で異質になってしまったものもあり、美化されたり、怪しげで曖昧なものもあります。
これから先、変化するものもあるでしょう。それ等が、作品に影響をもたらしていくことは否めません。今迄、素材にしても、必死に考え出すようなことは無く、日常生活の延長の一部でありました。
そのためでしょうか、日々の生活環境自体が重要で、其の場、其の時、出来る限りの取捨選択をしています。こうして、ノラはノラなりの彷徨を続けることになりましょう。
『美術手帳 418号 「ノラの彷徨」』(1977年3月、美術出版社、p.167)より抜粋
“... Whenever I felt tired or bored, or encountered something unbearable, it was my relief to be in the bosom of nature, deep in the forest leading to buildings.
There, I encountered wildlife such as squirrels, hares, birds, butterflies, blackberries, mushrooms, apples and chestnuts. Sometimes, I broke the branches of the trees and sharpened them. Other times, I scraped the dead leaves....
It was the forest, Bois de Bligny, in Paris that I visited immediately during the stop-over on my way to Japan from Venice, where the Venice Biennale was being held, for the first time in three and a half years since my last stay in Paris.
Among the variety of my memories from childhood to now, some are as vivid as before, others have transformed and faded over the flow of time, being beautified or becoming altered and vague.
Some of them are still transformed. It cannot be denied those memories might have an influence on my works. As for the materials I use for my works, up until now I used materials I found or encountered in my daily life. I’ve never made effort to intentionally find any particular material for my artworks.
Therefore, the living environment, itself, is the most important for me, and I think I’ve made the best decisions, wherever and whenever I am. In this way, I continue my idle wanderings.”
“ BIJUTSU TECHO,” March 1977
Note: In 1972, MAITA was hospitalized for six months in Bligny, a suburb of Paris.
There, I encountered wildlife such as squirrels, hares, birds, butterflies, blackberries, mushrooms, apples and chestnuts. Sometimes, I broke the branches of the trees and sharpened them. Other times, I scraped the dead leaves....
It was the forest, Bois de Bligny, in Paris that I visited immediately during the stop-over on my way to Japan from Venice, where the Venice Biennale was being held, for the first time in three and a half years since my last stay in Paris.
Among the variety of my memories from childhood to now, some are as vivid as before, others have transformed and faded over the flow of time, being beautified or becoming altered and vague.
Some of them are still transformed. It cannot be denied those memories might have an influence on my works. As for the materials I use for my works, up until now I used materials I found or encountered in my daily life. I’ve never made effort to intentionally find any particular material for my artworks.
Therefore, the living environment, itself, is the most important for me, and I think I’ve made the best decisions, wherever and whenever I am. In this way, I continue my idle wanderings.”
“ BIJUTSU TECHO,” March 1977
Note: In 1972, MAITA was hospitalized for six months in Bligny, a suburb of Paris.
主な経歴
Career
- 1944
- 中国東北部生まれ、47年に引き揚げ神奈川県で育つ
- 1971−1972
- 渡仏
- 1994
- 長野県諏訪郡富士見町の古民家を改修しアトリエ開設
- 2009
- 逝去(64歳)
主な受賞歴
Award
- 1971
- 第6回国際青年美術家展大賞受賞
- 1985
- 第4回ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞受賞
- 1995
- 第7回本郷新賞受賞
- 1997
- 第25回長野市野外彫刻賞受賞
- 2003
- 第20回現代日本彫刻展 土方定一記念特別賞受賞
主な作品発表歴
Release
- 1971
- 「第6回国際青年美術家展」(高輪美術館/東京都)
- 1972
- 「MAITA展」(ギャラリー・ランベール/フランス)
- 1974
- 「第4回神戸須磨離宮公園現代彫刻展」(兵庫県)
- 1975
- 「第6回現代日本彫刻展」(宇部市野外彫刻美術館/山口県)
- 1976・1986
- 「ヴェネチア・ビエンナーレ」(イタリア)
- 1977
- 「第10回パリ・ビエンナーレ」(パリ市立近代美術館)
- 1983
- 「風景との出会い」(宮城県美術館)
「現代美術における写真」(東京国立近代美術館、京都国立近代美術館)
- 1990
- 「現代美術の流れ・日本」(富山県立近代美術館)
- 1994
- 「写真と彫刻の対話」(神奈川県立近代美術館)
- 1995
- 「第2回フジサンケイ・ビエンナーレ現代彫刻展」(美ヶ原高原美術館/上田市)、「眞板雅文彫刻展」(札幌彫刻美術館/北海道)
- 1997
- 「眞板雅文展―音・竹水の閑-」(下山芸術の森発電所美術館/富山県)
- 1999
- 「彫刻の森美術館-森に生きるかたち-」(箱根彫刻の森美術館/神奈川県)
- 2000
- 「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(新潟県)
- 2003
- 「眞板雅文展 音・竹水の閑」(大原美術館/岡山県)
- 2004
- 「刻-還流」(美濃加茂市民ミュージアム/岐阜県)
- 2006
- 「野外彫刻ながのミュージアム33年の軌跡展」(長野市生涯学習センター)
- 2007
- 「眞板雅文アトリエ展」(富士見町)
「水の情景」(横浜美術館/神奈川県)
- 2013
- 「あめつちとの協奏」(横須賀美術館/神奈川県)
情報
Information
Event 2019/10/06 (日)
終了しました「眞板 雅文を語る」眞板 充江、塚田 裕(本展出品作家)、学芸員によるギャラリートーク
13:30~
安曇野髙橋節郎記念美術館内 旧高橋家住宅主屋 及び 南の蔵
News 2019/09/20 (金) 更新
[中信会場] 安曇野髙橋節郎記念美術館 旧高橋家住宅主屋・南の蔵と出展作家情報を更新しました。
眞板雅文 ―記憶につながる作品―
学芸員の解説
眞板雅文は1970年代にモノクロ写真と物質との組み合わせによるインスタレーションを発表し、同時代の注目すべき作家として日本国内のみならず海外でも評価を得た国際派の現代美術家である。一方、1980年代から2009年に急逝するまで海浜や森、植物や水といった「自然」や「環境」と自分と周囲のありようにこだわり続ける探索者であった。作品のヒントを日々を暮らしのなかに探りながら、あるときは巨大な鉄や石を組み合わせ精密な計画のもとに設置したモニュメントに、あるときは布やロープなど身近な素材を使用した作品に、独特の世界観を反映させた。
信州とのつながりも長期にわたった。94年に八ヶ岳の麓の大きな古民家を改修し、亡くなるまでの13年間、拠点のひとつとした。その間、「アトリエ展」も開催するなど周囲の自然や地域の風土にも目を向けた作品を標榜していたようだ。この事実は意外に知られていないのではないだろうか。
眞板は中国東北部(旧満州奉天省)に終戦の9ヵ月前に生まれた。3歳で家族とともに引き揚げ横須賀で育った。高校時代から美術に取り組み、大学では学ばず21歳ではじめての個展を開催している。また26歳で第6回国際青年美術展大賞を受賞し、2年間のフランスでの滞在と制作機会を獲得した。当時発表した連作「状況」シリーズでは、大型の写真パネルと物体、照明器具などを組み合わせた。小さなオブジェと写真をセットにした「資料化」と題する展覧会など、いわゆる写真の表現ではなく、物質と人間の関係性を探る作風だった。同世代の若手作家が「もの派」と称されたときには、眞板もそこに関連付けられる作家のひとりとして、作家の交流のなかで切磋琢磨したという。その後の眞板は、さまざまな素材を自らの手で扱い、周囲の環境や風土に合わせて作品を制作するスタイルへとスライドしていった。86年、ヴェネチア・ビエンナーレに2度目の出品をした際には鉄による大きなドーム型の上部に意匠がある彫刻を設置し、そのなかに水槽を置いた《樹々の精》を発表し、国内に移設された。世界的な彫刻家のイサム・ノグチと知遇を得たのもこのヴェネチアの展覧会場だった。
以後、公共空間での仕事が増えてゆき、公園や地下鉄の駅付近などに設置された。たとえば巨石の胴部分にステンレス部分を滑り込ませるような手法など、鮮やかであるが過剰ではなく、スマートな異素材の組み合わせに不思議とすっと心が休まる。
本展出品作品を見てみよう。《水鏡》は89年制作のインスタレーション作品である。20個ほどの円形の鉄で作られた大小さまざまの器に水が張られており、その円中には植物のような情景が鉄の棒を使い施されている。地面にランダムに置かれたそれらの形の面白さ、楽しさに、幼い頃の水たまりで戯れた記憶と眼前の視覚体験とがオーバーラップする。今回、水のある中庭に設置される予定で、まさに安曇野の風や空気が要素に加わり心に残る展示となるだろう。
会場となる旧髙橋家住宅主屋では多様な作品を展示する予定だ。綱で作られた直径180㎝ほどの円環にたくさんの紐や布が巻かれた《春:彩りの譜》を座敷のうえに設置し、台座に載った円環の中心に和紙の下から光を照らす。また、縄や紐を使った丸や三角などの形をした小さなコラージュ作品は、家屋の梁や床の間に展示する。富士見町のアトリエでも小品が梁にかけられているのを確認している。これらの布や紐を使った作品群は呪術的な雰囲気で、清々しい石や鉄の作品と異なり内観を感じる作品だ。とくに焦茶色の網と布で縛りあげられた塊は得体の知れないものがある。眞板は長年、京都や高野山などの寺社を巡り日本の古典的な美意識を吸収していた。作家の無意識のなかに残る最古の記憶を閉じ込めたのだろうか。97年以降に制作した竹と水などを使った大型のインスタレーション作品は、とくに人びとの記憶と記録に残っている。本展では野外の小さな庭に竹をモチーフにしたブロンズ作品を置く予定だ。主屋は国の登録有形文化財になっており、近世の茅葺き民家を生かした芸術空間は見応えがあるだろう。
これらの展示は作家と交流のあった学芸員を中心に、シンビズムメンバーが連携し企画している。また本展出品作家である画家の塚田裕は、眞板の制作アシスタントを務め、その人となりを知るひとりである。
筆者は信州に住む前の93年から4年間、東京で学生時代を過ごしたが、その頃は作品には少しとっつきにくい印象があり、よく知らないままで実にもったいなかったと思う。そのような記憶も含めて、今回の作品へのアプローチにつながっている。
眞板の彫刻はいま、長野市内や美ヶ原高原美術館、東京や岐阜、富山など全国各地にあるが、そのほかにも多様な作品があることを知れば作家への理解がさらに進むはずだ。
信州とのつながりも長期にわたった。94年に八ヶ岳の麓の大きな古民家を改修し、亡くなるまでの13年間、拠点のひとつとした。その間、「アトリエ展」も開催するなど周囲の自然や地域の風土にも目を向けた作品を標榜していたようだ。この事実は意外に知られていないのではないだろうか。
眞板は中国東北部(旧満州奉天省)に終戦の9ヵ月前に生まれた。3歳で家族とともに引き揚げ横須賀で育った。高校時代から美術に取り組み、大学では学ばず21歳ではじめての個展を開催している。また26歳で第6回国際青年美術展大賞を受賞し、2年間のフランスでの滞在と制作機会を獲得した。当時発表した連作「状況」シリーズでは、大型の写真パネルと物体、照明器具などを組み合わせた。小さなオブジェと写真をセットにした「資料化」と題する展覧会など、いわゆる写真の表現ではなく、物質と人間の関係性を探る作風だった。同世代の若手作家が「もの派」と称されたときには、眞板もそこに関連付けられる作家のひとりとして、作家の交流のなかで切磋琢磨したという。その後の眞板は、さまざまな素材を自らの手で扱い、周囲の環境や風土に合わせて作品を制作するスタイルへとスライドしていった。86年、ヴェネチア・ビエンナーレに2度目の出品をした際には鉄による大きなドーム型の上部に意匠がある彫刻を設置し、そのなかに水槽を置いた《樹々の精》を発表し、国内に移設された。世界的な彫刻家のイサム・ノグチと知遇を得たのもこのヴェネチアの展覧会場だった。
以後、公共空間での仕事が増えてゆき、公園や地下鉄の駅付近などに設置された。たとえば巨石の胴部分にステンレス部分を滑り込ませるような手法など、鮮やかであるが過剰ではなく、スマートな異素材の組み合わせに不思議とすっと心が休まる。
本展出品作品を見てみよう。《水鏡》は89年制作のインスタレーション作品である。20個ほどの円形の鉄で作られた大小さまざまの器に水が張られており、その円中には植物のような情景が鉄の棒を使い施されている。地面にランダムに置かれたそれらの形の面白さ、楽しさに、幼い頃の水たまりで戯れた記憶と眼前の視覚体験とがオーバーラップする。今回、水のある中庭に設置される予定で、まさに安曇野の風や空気が要素に加わり心に残る展示となるだろう。
会場となる旧髙橋家住宅主屋では多様な作品を展示する予定だ。綱で作られた直径180㎝ほどの円環にたくさんの紐や布が巻かれた《春:彩りの譜》を座敷のうえに設置し、台座に載った円環の中心に和紙の下から光を照らす。また、縄や紐を使った丸や三角などの形をした小さなコラージュ作品は、家屋の梁や床の間に展示する。富士見町のアトリエでも小品が梁にかけられているのを確認している。これらの布や紐を使った作品群は呪術的な雰囲気で、清々しい石や鉄の作品と異なり内観を感じる作品だ。とくに焦茶色の網と布で縛りあげられた塊は得体の知れないものがある。眞板は長年、京都や高野山などの寺社を巡り日本の古典的な美意識を吸収していた。作家の無意識のなかに残る最古の記憶を閉じ込めたのだろうか。97年以降に制作した竹と水などを使った大型のインスタレーション作品は、とくに人びとの記憶と記録に残っている。本展では野外の小さな庭に竹をモチーフにしたブロンズ作品を置く予定だ。主屋は国の登録有形文化財になっており、近世の茅葺き民家を生かした芸術空間は見応えがあるだろう。
これらの展示は作家と交流のあった学芸員を中心に、シンビズムメンバーが連携し企画している。また本展出品作家である画家の塚田裕は、眞板の制作アシスタントを務め、その人となりを知るひとりである。
筆者は信州に住む前の93年から4年間、東京で学生時代を過ごしたが、その頃は作品には少しとっつきにくい印象があり、よく知らないままで実にもったいなかったと思う。そのような記憶も含めて、今回の作品へのアプローチにつながっている。
眞板の彫刻はいま、長野市内や美ヶ原高原美術館、東京や岐阜、富山など全国各地にあるが、そのほかにも多様な作品があることを知れば作家への理解がさらに進むはずだ。
伊藤 幸穂(木曽町教育委員会)
Exhibition Artists & Hall
Takahashi Setsuro A Museum of Azumino
2019/09/21 - 2019/10/14
終了しました。
安曇野髙橋節郎記念美術館 旧高橋家住宅主屋・南の蔵
- 〒399-8302
長野県安曇野市穂高北穂高408-1 - [電話番号]0263-81-3030
- [開館時間]9:00~17:00
- [休館日]月曜休(祝日の場合は翌日)
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出展作家
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