学芸員の解説
Document
今、ここにあるものとともに
→ 柿崎 順一について解説
一般財団法人長野県文化振興事業団
伊藤 羊子
「生きている間に、死ぬことを考えるのはよいこと」
ふん?と、テレビに目をむけた。樹木葬を取材したドキュメンタリー番組の最後、霊園を管理する花屋の言葉である。あっという間に咲いては枯れる花を日々の生業とする人びと。彼らは自然科学の視線を超えて、哲学の領域で物事をとらえる人たちかもしれないと思った。柿崎順一は、その代表者といえるだろう。柿崎は、現代美術に花飾の表現を取り入れ、世界を舞台に活躍する作家である。生命のサイクルの一場面を切り取ったかのような作品は、「花を通して命の尊さと儚さを感じることができる」と定評がある。※1また、萎んだ花、枯れた花にとどまらず、赤いリボンや廃棄物によるインスタレーションにみられるように、ありのままの現実、社会のなかに美しさを見出そうとする。徹底した現実主義に軸足を置きながら、構成力によって幻想的で静謐な世界観をつくりだす。その落差に私たちは幻惑され、美しさを感じるのだ。柿崎がフラワーアーティストの領域を超えて、新たな世界へと歩みを進め、あるいはこの地の子どもたちとどのようにかかわってきたのか、鍵と目する人びとを通してその軌跡を追った。
【種】フラワーアーティスト
柿崎は著名な園芸学者を輩出した家系に生まれ、花屋を営む父と、それを支える母のもとで育った。生来、体の弱かった彼に、身の周りに溢れる花々はどのように映っていたのだろうか。彼がよく用いる赤は、眼底に出血した血潮の色。のちに柿崎は網膜剥離により片眼を失明することとなる。
高校在学中から第一線で活躍するフラワーアーティストに師事し、進学後は園芸学と基礎造形を学んだ。東京や静岡での修業を終え、生家に戻った柿崎は、地元の古刹に通いはじめる。
【発芽】長谷寺、櫻井群晃、大野一雄との出会い
長野市篠ノ井の金峯山長谷寺は、当地を代表する真言宗の古刹であり、柿崎の父の代からのつきあいがあった。住職の岡澤慶澄によれば、柿崎が花を供えるようになってすぐ、毎月、本尊の前で実際に花を活けることを願い出たという。同世代の住職は、時には柿崎に手を貸しながら立ち会った。折しも当時は、古刹が文化活動を通して地域貢献をはじめた頃。1995年、長谷寺でもコンサートや講演会を開始し、柿崎は、自ら志願して各イベントの装飾を手掛けていった。はじめは来場者をもてなすための「花飾」であったが、大木や大量の木板を使うなど、その規模は次第に装飾を超え、舞台美術というべきものになっていった。1999年、この場が舞踏家、大野一雄との出会いをもたらした。当地で美術企画を手掛ける櫻井群晃が企画した「大野一雄 長谷寺に舞う」舞台公演である。柿崎ははじめ、その痩せた老人を訝しく眺めたという。しかし、舞踏がはじまるとその考えは一変した。「彼がわずかに手の指を動かしただけで、空気が変わった――。」。以後、柿崎は美しく咲き誇る花の姿だけでなく、萎んだ花、枯れた花のなかに美しさを見出すようになる。※2
【開花】初個展、賞金を手に渡欧、世界へ
柿崎は、2003年1月、テレビのフラワーアレンジメント選手権で、チャンピオンとなった。「賞金を握りしめて気鋭のディレクターがいる北欧へ向かった」と話す。※3この年から長野市での初個展を皮切りに海外個展など、現代美術作家としての活動が本格化する。
【共同の実】生徒に託す―とがび《根プロジェクト》
柿崎には今回出品される《溺れた肉体》のように、時間の経過とともに変化し、場に応じて再生し、インスタレーションされる作品やプロジェクトがある。とがび《根プロジェクト》もそのひとつである。戸倉上山田びじゅつ中学校、通称とがびアートプロジェクトは、千曲市立戸倉上山田中学校の生徒が学校を美術館へと変貌させた名高いアート実践である。※42008年、1年時に現代美術作家のヤノベケンジを招いて展示を行った美術部10名は、2年となって柿崎を迎えた。話し合いを重ねるなかで柿崎は「根」というテーマを提案した。すべての植物に存在する根に焦点をあて、子どもたちに本質的なものを捉えてほしいという意図があった。生徒らは、「大根」を擬人化し、生徒のように着席させる教室のインスタレーションを考えた。しかし、展示当日、不在の柿崎から「輪切りに」というメッセージが届く。子どもたちは口々に不平をいいながら、戸惑いと不安のなかで、自力で教室いっぱいに大根の輪切りを並べ、アクセントにひとりが庭から抜いてきたコスモスを点在させた。かくして、教室の床一面に瑞々しい大根の円形が反復する、ミニマルアート然としたインスタレーションが完成した。柿崎には「輪切りに」の一言で展示の結果がつかめていたのだと思う。訪れた人たちはその美しさに驚きの声を上げ、一躍マスコミの取材の的になった。その生徒たちは、20代半ばになった。部員らのうち3人は、漫画家のアシスタントやゲームのプログラマーなど、アートに関わる仕事についてシェアハウスに同居し、そして、今も柿崎との親交を保っている。
花であれ、物であれ、人であれ、存在を認め、つなげて組み立てる、柿崎は万物を等距離に見据える力を備えている。
ふん?と、テレビに目をむけた。樹木葬を取材したドキュメンタリー番組の最後、霊園を管理する花屋の言葉である。あっという間に咲いては枯れる花を日々の生業とする人びと。彼らは自然科学の視線を超えて、哲学の領域で物事をとらえる人たちかもしれないと思った。柿崎順一は、その代表者といえるだろう。柿崎は、現代美術に花飾の表現を取り入れ、世界を舞台に活躍する作家である。生命のサイクルの一場面を切り取ったかのような作品は、「花を通して命の尊さと儚さを感じることができる」と定評がある。※1また、萎んだ花、枯れた花にとどまらず、赤いリボンや廃棄物によるインスタレーションにみられるように、ありのままの現実、社会のなかに美しさを見出そうとする。徹底した現実主義に軸足を置きながら、構成力によって幻想的で静謐な世界観をつくりだす。その落差に私たちは幻惑され、美しさを感じるのだ。柿崎がフラワーアーティストの領域を超えて、新たな世界へと歩みを進め、あるいはこの地の子どもたちとどのようにかかわってきたのか、鍵と目する人びとを通してその軌跡を追った。
【種】フラワーアーティスト
柿崎は著名な園芸学者を輩出した家系に生まれ、花屋を営む父と、それを支える母のもとで育った。生来、体の弱かった彼に、身の周りに溢れる花々はどのように映っていたのだろうか。彼がよく用いる赤は、眼底に出血した血潮の色。のちに柿崎は網膜剥離により片眼を失明することとなる。
高校在学中から第一線で活躍するフラワーアーティストに師事し、進学後は園芸学と基礎造形を学んだ。東京や静岡での修業を終え、生家に戻った柿崎は、地元の古刹に通いはじめる。
【発芽】長谷寺、櫻井群晃、大野一雄との出会い
長野市篠ノ井の金峯山長谷寺は、当地を代表する真言宗の古刹であり、柿崎の父の代からのつきあいがあった。住職の岡澤慶澄によれば、柿崎が花を供えるようになってすぐ、毎月、本尊の前で実際に花を活けることを願い出たという。同世代の住職は、時には柿崎に手を貸しながら立ち会った。折しも当時は、古刹が文化活動を通して地域貢献をはじめた頃。1995年、長谷寺でもコンサートや講演会を開始し、柿崎は、自ら志願して各イベントの装飾を手掛けていった。はじめは来場者をもてなすための「花飾」であったが、大木や大量の木板を使うなど、その規模は次第に装飾を超え、舞台美術というべきものになっていった。1999年、この場が舞踏家、大野一雄との出会いをもたらした。当地で美術企画を手掛ける櫻井群晃が企画した「大野一雄 長谷寺に舞う」舞台公演である。柿崎ははじめ、その痩せた老人を訝しく眺めたという。しかし、舞踏がはじまるとその考えは一変した。「彼がわずかに手の指を動かしただけで、空気が変わった――。」。以後、柿崎は美しく咲き誇る花の姿だけでなく、萎んだ花、枯れた花のなかに美しさを見出すようになる。※2
【開花】初個展、賞金を手に渡欧、世界へ
柿崎は、2003年1月、テレビのフラワーアレンジメント選手権で、チャンピオンとなった。「賞金を握りしめて気鋭のディレクターがいる北欧へ向かった」と話す。※3この年から長野市での初個展を皮切りに海外個展など、現代美術作家としての活動が本格化する。
【共同の実】生徒に託す―とがび《根プロジェクト》
柿崎には今回出品される《溺れた肉体》のように、時間の経過とともに変化し、場に応じて再生し、インスタレーションされる作品やプロジェクトがある。とがび《根プロジェクト》もそのひとつである。戸倉上山田びじゅつ中学校、通称とがびアートプロジェクトは、千曲市立戸倉上山田中学校の生徒が学校を美術館へと変貌させた名高いアート実践である。※42008年、1年時に現代美術作家のヤノベケンジを招いて展示を行った美術部10名は、2年となって柿崎を迎えた。話し合いを重ねるなかで柿崎は「根」というテーマを提案した。すべての植物に存在する根に焦点をあて、子どもたちに本質的なものを捉えてほしいという意図があった。生徒らは、「大根」を擬人化し、生徒のように着席させる教室のインスタレーションを考えた。しかし、展示当日、不在の柿崎から「輪切りに」というメッセージが届く。子どもたちは口々に不平をいいながら、戸惑いと不安のなかで、自力で教室いっぱいに大根の輪切りを並べ、アクセントにひとりが庭から抜いてきたコスモスを点在させた。かくして、教室の床一面に瑞々しい大根の円形が反復する、ミニマルアート然としたインスタレーションが完成した。柿崎には「輪切りに」の一言で展示の結果がつかめていたのだと思う。訪れた人たちはその美しさに驚きの声を上げ、一躍マスコミの取材の的になった。その生徒たちは、20代半ばになった。部員らのうち3人は、漫画家のアシスタントやゲームのプログラマーなど、アートに関わる仕事についてシェアハウスに同居し、そして、今も柿崎との親交を保っている。
花であれ、物であれ、人であれ、存在を認め、つなげて組み立てる、柿崎は万物を等距離に見据える力を備えている。
※1 「第36回全国都市緑化信州フェア実行委員会 会長 阿部守一 ごあいさつ」(2019年5月、国営アルプスあづみの公園[堀金・穂高地区]「柿崎順一展 METAPHOR|比喩的な自然」)
※2 翌年も同寺にて大野一雄の舞台公演が行われた。櫻井によれば大野を敬愛する松澤宥が志願し、松澤の詩にあわせて大野が舞うコラボレーション公演が実現。柿崎はこの歴史的公演にも立ち会い、舞台美術を担った。
※3 「第5回全国お花屋さんフラワーアレンジメント選手権」(2003年1月23日、制作:テレビ東京、放映:全国TXN系列、BSジャパンほか)
※4 『とがびアートプロジェクト』(2019年、東信堂、編集代表 茂木一司)
※2 翌年も同寺にて大野一雄の舞台公演が行われた。櫻井によれば大野を敬愛する松澤宥が志願し、松澤の詩にあわせて大野が舞うコラボレーション公演が実現。柿崎はこの歴史的公演にも立ち会い、舞台美術を担った。
※3 「第5回全国お花屋さんフラワーアレンジメント選手権」(2003年1月23日、制作:テレビ東京、放映:全国TXN系列、BSジャパンほか)
※4 『とがびアートプロジェクト』(2019年、東信堂、編集代表 茂木一司)