学芸員の解説
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呼吸のように続ける
→ 山内 孝一について解説
心の花美術館 in 上田
加藤 泰子
山内孝一は自らの制作について繰り返し綴っている。
─リズミカルで一定なサイクルを保つ呼吸の様に、全ての感覚器官を使い自然・世界を吸い<Impress>それらが全身体に吸収され形を変えて吐き出される<Express>どちらか一方でも欠けたとき、呼吸と同様に命を続けることができないと私は想っている─
山内には過酷な闘病経験がある。大学卒業後、間もなく画材屋に勤務。初個展も行い順調な作家生活をスタートさせた直後、3年間におよび制作活動の中断を余儀なくされる。無機質な病院の天井を眺めるしかなかった日々から抜け出そうと山内はあらゆる手段を探り出す。そして身体のなかを自在に「意識」すること、つまり自分の身体が透明になった感覚を覚え、全身と対話ができるようになったという。病を得たことでそれまでの価値観が崩れ、美術実践とは何かを改めて問いはじめる。いままでの物質の部分(目に触れている部分)だけで評価されてきたものではなく、日常生活そのものがアートであることに気付いたのかもしれない。
1996年、にぎやかな横浜から長野県に居を移す。自然農法に取り組みながら、自然物からインスピレーションを受けた作品を多数制作。ほかに平面・立体・ワークショップとジャンルの枠を超えて活動している。
「錐体」シリーズは、2.5mほどの高さに組みあげたススキの立体を多数設置した。その空間には人が入れるという体験型だ。作品のなかに入り、身体の大きさや熱などの変化するすべてに「意識」を向けることで、まるでレンズが1点に焦点を結ぶように、熱や磁気を帯びたような不思議な作用を体感できる。その後、グラスファィバーを使った「空に思考する」シリーズへと展開していく。
97年から継続して行われている「フィールドワーク」シリーズは、河原で石のバランスを取りながら立てるワークショップである。天竜川の支流・阿知川で行われた作品《沈黙のオーケストラ》は以後、企業の広告媒体などに採用された。大地の中心へ向かう直線を引くというコンセプトのもと、巨大な石を全身で支えながら片手で要の小石2個によりバランスを取り、探りながら置き両手をはなす。石は静止する。そのプロセスで数分間、石と作家は一体となる。その石を立たせるために使う「要の小石」と、さらに「何か」…自身の身体を立たせるために使っている「筋肉」と、さらに「何か」…この「何か」の微妙な共通点に興味深いものがあるという。
「造形的・美術的な行為、それに日常と自分の身体さえも全部ひとつになった気がする」と語る山内は、「意識の焦点」を体得してから五感にとどまらず第六感もが研ぎすまされ、よりモノ(作品)と場に対して自由度が増したのではないだろうか。
南アルプスを臨む天竜川の河岸段丘にアトリエはある。農業が中心の町は秋になると田の神を待つ。ゆったりとした時のなかで地域に溶け込み、呼吸するようにとどまることなく制作を続けていく。
─リズミカルで一定なサイクルを保つ呼吸の様に、全ての感覚器官を使い自然・世界を吸い<Impress>それらが全身体に吸収され形を変えて吐き出される<Express>どちらか一方でも欠けたとき、呼吸と同様に命を続けることができないと私は想っている─
山内には過酷な闘病経験がある。大学卒業後、間もなく画材屋に勤務。初個展も行い順調な作家生活をスタートさせた直後、3年間におよび制作活動の中断を余儀なくされる。無機質な病院の天井を眺めるしかなかった日々から抜け出そうと山内はあらゆる手段を探り出す。そして身体のなかを自在に「意識」すること、つまり自分の身体が透明になった感覚を覚え、全身と対話ができるようになったという。病を得たことでそれまでの価値観が崩れ、美術実践とは何かを改めて問いはじめる。いままでの物質の部分(目に触れている部分)だけで評価されてきたものではなく、日常生活そのものがアートであることに気付いたのかもしれない。
1996年、にぎやかな横浜から長野県に居を移す。自然農法に取り組みながら、自然物からインスピレーションを受けた作品を多数制作。ほかに平面・立体・ワークショップとジャンルの枠を超えて活動している。
「錐体」シリーズは、2.5mほどの高さに組みあげたススキの立体を多数設置した。その空間には人が入れるという体験型だ。作品のなかに入り、身体の大きさや熱などの変化するすべてに「意識」を向けることで、まるでレンズが1点に焦点を結ぶように、熱や磁気を帯びたような不思議な作用を体感できる。その後、グラスファィバーを使った「空に思考する」シリーズへと展開していく。
97年から継続して行われている「フィールドワーク」シリーズは、河原で石のバランスを取りながら立てるワークショップである。天竜川の支流・阿知川で行われた作品《沈黙のオーケストラ》は以後、企業の広告媒体などに採用された。大地の中心へ向かう直線を引くというコンセプトのもと、巨大な石を全身で支えながら片手で要の小石2個によりバランスを取り、探りながら置き両手をはなす。石は静止する。そのプロセスで数分間、石と作家は一体となる。その石を立たせるために使う「要の小石」と、さらに「何か」…自身の身体を立たせるために使っている「筋肉」と、さらに「何か」…この「何か」の微妙な共通点に興味深いものがあるという。
「造形的・美術的な行為、それに日常と自分の身体さえも全部ひとつになった気がする」と語る山内は、「意識の焦点」を体得してから五感にとどまらず第六感もが研ぎすまされ、よりモノ(作品)と場に対して自由度が増したのではないだろうか。
南アルプスを臨む天竜川の河岸段丘にアトリエはある。農業が中心の町は秋になると田の神を待つ。ゆったりとした時のなかで地域に溶け込み、呼吸するようにとどまることなく制作を続けていく。