学芸員の解説
Document
ガラスのやわらかさを伝える
→ 増田 洋美について解説
中野市立博物館
小林 宏子
「ガラスはやわらかい。そのことをガラスが知らせなさいといっている」
増田洋美は近年、自身が続けてきたガラス制作を振り返りこのような思いに至ったという。彼女の作品は、熔けたガラスを鉄竿に巻き取り息を吹き込む、宙吹き技法で作られている。不規則につぶれた球状、先端が長く伸びたしずく状、水がはねた瞬間を固めたような水しぶき状など、色ガラスによるダイナミックな形体のオブジェたちは、何百という集団でさまざまな空間に出現する。世界各地で展開される増田のインスタレーションを支えているのが、ガラスの本来の姿―やわらかさを伝えたい、という思いだ。
38年前、ガラスと出会い魅せられた当初から、増田はその歴史やテクニックをいったん脇に置き、ガラスと自由に遊ぶことに専念してきた。伝統的なガラスの聖地ヴェネツィアに制作拠点を移した2000年以降も、その姿勢は貫かれている。肩の力を抜き、素直にガラスと向き合うなかでみつけた面白さが、「やわらかさ」だった。
増田の魅了された「ガラスのもつやわらかさ」とは何であろうか。
ひとつは、制作過程で現れる、材質としての軟らかさである。ガラスは高温で液状にとろけ、瞬時に成形されていく。「頭で考えるより先に、(吹き竿を通して)体に伝わってくる素材感」と作家が述べるように、吹きガラス制作は即興性や偶然性、瞬時の判断にゆだねられる。めまぐるしい作業のなかで瞬く間に形を変えるガラスは、イマジネーションをかきたて、自身を解放する素材なのである。大学で工芸、大学院で鋳金を専攻し、金属をはじめとする他素材に触れてきた増田は、ほかの材質と異なるガラスの軟らかい素材感をことさら敏感に感じ取ったのかもしれない。流動体としてのガラスの記憶を留める水しぶき状オブジェや、丸く膨らんだガラスを棒でつぶしそのまま冷やし固めた球状オブジェのように、宙吹きガラスだからこそ作れる形を追求し、柔らかさを表現している。作品の表面にきらびやかな装飾が施されていないのは、ガラスそのものの軟らかい素材感を伝えようとする作家の意志の表れであろう。技巧を駆使することよりむしろ、ガラスの本質に立ち返ることを選んだのである。
ふたつ目は、凝り固まった概念を揺さぶり打ち崩す、柔軟な存在としての柔らかさである。増田は、何百ものガラス作品たちとともに、ヴェネツィアの教会の中庭、インドネシアの海岸、日本式家屋の畳のうえなど、さまざまな空間を舞台にインスタレーションを繰り広げてきた。場所に合わせてガラスの色彩や質感を選び、作家いわく「ガラスたちがその場所を生かして居心地よいようにすることを心がけて展示」している。それぞれの場所で、ガラスの作品群は変幻自在に表情を変える。しずくや水しぶきをかたどったオブジェは空間を流れる波や風となる。不規則につぶれた球状のガラスは、その場所の空気を取り込み、思い思いに呼吸をしているかのようだ。インスタレーションのなかで、ガラスたちは、目には見えない空気の流れや、空間の声なき声を拾いあげる媒体となる。物であること、作品であることを超えて、ガラスが空間に共鳴し新たな物語を紡ぎだす点は、増田のガラス・アートのユニークさであろう。また、彼女の創作物は、目の錯覚をいざなう作りになっている。たとえば、伸縮するゴムの質感を思わせる黒い艶消しガラスや、粘り気のある金属のような鏡面仕上げのガラス、軽やかな風船と見紛う色とりどりのガラスだ。両腕のなかにちょうど収まる大きさのそれらを持つと、みかけよりも肉厚でずっしりと重いことに驚かされる。鑑賞者は、作品を前に感覚の心地よい揺らぎを体感することになるのだ。さらに、ガラスに反射する景色や、ガラス越しに見る景色は凹凸でゆがみ、世界を思いもよらない角度から映し出す。増田のインスタレーションは、ガラスの内と外、両側で見慣れた景色を変容させるのである。
制作過程で現れる素材としての軟らかさと、インスタレーションで醸し出される存在としての柔らかさ。彼女はガラスにそれをみとめ、引き出してきた。インスタレーションには、共通の題名≪PLAY THE GLASS≫が付けられている。その名のとおり、ガラスで遊ぶなかで見出した真実が、空間に展開される。中野小学校旧校舎で、ガラスたちはどのような音楽を奏でてくれるのだろう。世界を旅してきたガラスたちと、子どもたちのかつての学び舎との共演が楽しみである。
増田洋美は近年、自身が続けてきたガラス制作を振り返りこのような思いに至ったという。彼女の作品は、熔けたガラスを鉄竿に巻き取り息を吹き込む、宙吹き技法で作られている。不規則につぶれた球状、先端が長く伸びたしずく状、水がはねた瞬間を固めたような水しぶき状など、色ガラスによるダイナミックな形体のオブジェたちは、何百という集団でさまざまな空間に出現する。世界各地で展開される増田のインスタレーションを支えているのが、ガラスの本来の姿―やわらかさを伝えたい、という思いだ。
38年前、ガラスと出会い魅せられた当初から、増田はその歴史やテクニックをいったん脇に置き、ガラスと自由に遊ぶことに専念してきた。伝統的なガラスの聖地ヴェネツィアに制作拠点を移した2000年以降も、その姿勢は貫かれている。肩の力を抜き、素直にガラスと向き合うなかでみつけた面白さが、「やわらかさ」だった。
増田の魅了された「ガラスのもつやわらかさ」とは何であろうか。
ひとつは、制作過程で現れる、材質としての軟らかさである。ガラスは高温で液状にとろけ、瞬時に成形されていく。「頭で考えるより先に、(吹き竿を通して)体に伝わってくる素材感」と作家が述べるように、吹きガラス制作は即興性や偶然性、瞬時の判断にゆだねられる。めまぐるしい作業のなかで瞬く間に形を変えるガラスは、イマジネーションをかきたて、自身を解放する素材なのである。大学で工芸、大学院で鋳金を専攻し、金属をはじめとする他素材に触れてきた増田は、ほかの材質と異なるガラスの軟らかい素材感をことさら敏感に感じ取ったのかもしれない。流動体としてのガラスの記憶を留める水しぶき状オブジェや、丸く膨らんだガラスを棒でつぶしそのまま冷やし固めた球状オブジェのように、宙吹きガラスだからこそ作れる形を追求し、柔らかさを表現している。作品の表面にきらびやかな装飾が施されていないのは、ガラスそのものの軟らかい素材感を伝えようとする作家の意志の表れであろう。技巧を駆使することよりむしろ、ガラスの本質に立ち返ることを選んだのである。
ふたつ目は、凝り固まった概念を揺さぶり打ち崩す、柔軟な存在としての柔らかさである。増田は、何百ものガラス作品たちとともに、ヴェネツィアの教会の中庭、インドネシアの海岸、日本式家屋の畳のうえなど、さまざまな空間を舞台にインスタレーションを繰り広げてきた。場所に合わせてガラスの色彩や質感を選び、作家いわく「ガラスたちがその場所を生かして居心地よいようにすることを心がけて展示」している。それぞれの場所で、ガラスの作品群は変幻自在に表情を変える。しずくや水しぶきをかたどったオブジェは空間を流れる波や風となる。不規則につぶれた球状のガラスは、その場所の空気を取り込み、思い思いに呼吸をしているかのようだ。インスタレーションのなかで、ガラスたちは、目には見えない空気の流れや、空間の声なき声を拾いあげる媒体となる。物であること、作品であることを超えて、ガラスが空間に共鳴し新たな物語を紡ぎだす点は、増田のガラス・アートのユニークさであろう。また、彼女の創作物は、目の錯覚をいざなう作りになっている。たとえば、伸縮するゴムの質感を思わせる黒い艶消しガラスや、粘り気のある金属のような鏡面仕上げのガラス、軽やかな風船と見紛う色とりどりのガラスだ。両腕のなかにちょうど収まる大きさのそれらを持つと、みかけよりも肉厚でずっしりと重いことに驚かされる。鑑賞者は、作品を前に感覚の心地よい揺らぎを体感することになるのだ。さらに、ガラスに反射する景色や、ガラス越しに見る景色は凹凸でゆがみ、世界を思いもよらない角度から映し出す。増田のインスタレーションは、ガラスの内と外、両側で見慣れた景色を変容させるのである。
制作過程で現れる素材としての軟らかさと、インスタレーションで醸し出される存在としての柔らかさ。彼女はガラスにそれをみとめ、引き出してきた。インスタレーションには、共通の題名≪PLAY THE GLASS≫が付けられている。その名のとおり、ガラスで遊ぶなかで見出した真実が、空間に展開される。中野小学校旧校舎で、ガラスたちはどのような音楽を奏でてくれるのだろう。世界を旅してきたガラスたちと、子どもたちのかつての学び舎との共演が楽しみである。