学芸員の解説
Document
認知の境界に対する試みー前沢知子の「作品」
→ 前沢 知子について解説
諏訪市美術館
丸山 綾
「作品」とはなんなのだろう。作者自身が手を動かし表現活動として物質的な作品を作りあげるだけではなく、マルセル・デュシャンが、男性便器を≪泉≫と題して発表して以降、廃物芸術といわれるジャンク・アートや、アイデアやコンセプトを作品の中心的構成要素とするコンセプチュアル・アート、ある状況や出来事を生み出す過程に人びとが参与する「関係性の芸術」ともいわれるリレーショナル・アートなど、さまざまな「作品」が生まれている。
前沢知子の作品は、ワークショップ参加者の行為が軸となって制作される。室内に敷き詰められた布のうえで、全身を使って絵具と戯れる。布には参加者の足跡が付き、手形が付き、色は混ざり合いそのにじみから新たな色が生まれる。ワークショップ参加者の行為の痕跡が布上には無数にあふれている。ときには前沢自身の痕跡も残し、美しく色づいた画面となる。ワークショップ参加者の行為も、ただ自由にさせるのではなく、使用する色やその色を使用させるタイミング、道具、果ては絵具の溶き具合…そういったワークショップを取り巻くさまざまな要素を前沢が細やかにコントロールしながら巨大な絵画を描くように進めていく。画面がひとつの一体感を持っているのは、前沢が参加者、そしてその後作品となるワークショップの成果物に丁寧に寄り添い、進めているからである。参加者は、そんなことには気付かないまま、全身を使って絵具と戯れる体験を堪能し、その痕跡を布のうえに残していく。
そうしてできあがった痕跡の集合は、この段階ではただの「ワークショップの成果物」であり、ワークショップには不特定多数が参加するため、「作者」は意味を持たないともいえる。それが、前沢によって「何か」を拾いあげるようにトリミングされ、もしくはさらに大きな布や別の矩形になるように縫い合わされ、または額装や軸装、カーテンなど別の形式が持ち込まれ、展示されることによって、ひとつの「作品」となる。展示されたそれを「前沢知子の作品」として鑑賞することで、鑑賞者の視点・思考は変化し、新たな意味が生成され価値観は変化する。
今展では、さらにその作品のなかに入って鑑賞することができる。なかに入ればそこにはその土地を連想させる隠喩的なモノが、たとえば吊るし雛のように設置されており、その土地と美術館とをつなぐ新たな「場」が生まれている。その土地に育まれたワークショップ参加者によって作られた成果物が、前沢の手により今度はその土地の風土に満ちた場そのものを作り出す。そんな空間を体験した鑑賞者は、意識的・無意識的に抱えている土着の文化に気付き、それが新たな視点でその土地をみつめ直すきっかけとなるのかもしれない。
学生の頃、前沢は大学構内にある木の枝と枝の間に糸を詰める行為に没頭したという。美しく仕上げようというわけではなく、ただその枝と枝の「間」を視覚化していくように糸を詰める。そうすることによって、それまで気付かなかった枝と枝の「間」が顕在化する。空間に少し手を加えるだけで、まったくちがうものにみえてくる。卒業後すぐに行われた初個展では、画廊内の壁の隙間や、釘の穴に糸を詰めた作品を発表。前沢の行為によって隙間は顕在化し、その空間は、見慣れたものとはちがう新鮮なものとして鑑賞者の目に映り、意識の変化をもたらす。
ワークショップ参加者の行為が軸となって制作される近作も同様で、ただのワークショップの成果物だったものが、前沢が手を加えることによって意味を持ち、それをみる者の意識は変化する。作品について、「人びとがあらゆる事象を認知する段階で、意識が切りかわる瞬間である認知の境界に対する試み」と前沢自身が語るように、前沢の作品を通して私たちは無意識的に対象を「作品」と判断し、鑑賞していたことに気付かされる。私たちの身の回りには、そんな風に無意識的に感じとっているものが、気付かないだけでたくさんあるのだろう。旅先で感じる「その土地らしさ」も、そういうものかもしれない。
今展に際し、南信会場である茅野市美術館での打合せ当日、前沢は諏訪湖を囲むように立地する4つの諏訪大社や、茅野の縄文のヴィーナスを見学し、この土地がどういった地域なのか考えたという。前沢の生まれ育った飯田市とは、またちがう歴史観を持っているだろうこの土地に生まれ育った参加者と一緒にワークショップを行い、そこから作品を作り出す。いったい、どんな作品を作り出してくれるのだろうか。意識の切りかわる瞬間をずっとみつめてきた前沢なら、その土地に住む者が無意識的に感じとっているものまでも作品に表出させてくれるにちがいない。
前沢知子の作品は、ワークショップ参加者の行為が軸となって制作される。室内に敷き詰められた布のうえで、全身を使って絵具と戯れる。布には参加者の足跡が付き、手形が付き、色は混ざり合いそのにじみから新たな色が生まれる。ワークショップ参加者の行為の痕跡が布上には無数にあふれている。ときには前沢自身の痕跡も残し、美しく色づいた画面となる。ワークショップ参加者の行為も、ただ自由にさせるのではなく、使用する色やその色を使用させるタイミング、道具、果ては絵具の溶き具合…そういったワークショップを取り巻くさまざまな要素を前沢が細やかにコントロールしながら巨大な絵画を描くように進めていく。画面がひとつの一体感を持っているのは、前沢が参加者、そしてその後作品となるワークショップの成果物に丁寧に寄り添い、進めているからである。参加者は、そんなことには気付かないまま、全身を使って絵具と戯れる体験を堪能し、その痕跡を布のうえに残していく。
そうしてできあがった痕跡の集合は、この段階ではただの「ワークショップの成果物」であり、ワークショップには不特定多数が参加するため、「作者」は意味を持たないともいえる。それが、前沢によって「何か」を拾いあげるようにトリミングされ、もしくはさらに大きな布や別の矩形になるように縫い合わされ、または額装や軸装、カーテンなど別の形式が持ち込まれ、展示されることによって、ひとつの「作品」となる。展示されたそれを「前沢知子の作品」として鑑賞することで、鑑賞者の視点・思考は変化し、新たな意味が生成され価値観は変化する。
今展では、さらにその作品のなかに入って鑑賞することができる。なかに入ればそこにはその土地を連想させる隠喩的なモノが、たとえば吊るし雛のように設置されており、その土地と美術館とをつなぐ新たな「場」が生まれている。その土地に育まれたワークショップ参加者によって作られた成果物が、前沢の手により今度はその土地の風土に満ちた場そのものを作り出す。そんな空間を体験した鑑賞者は、意識的・無意識的に抱えている土着の文化に気付き、それが新たな視点でその土地をみつめ直すきっかけとなるのかもしれない。
学生の頃、前沢は大学構内にある木の枝と枝の間に糸を詰める行為に没頭したという。美しく仕上げようというわけではなく、ただその枝と枝の「間」を視覚化していくように糸を詰める。そうすることによって、それまで気付かなかった枝と枝の「間」が顕在化する。空間に少し手を加えるだけで、まったくちがうものにみえてくる。卒業後すぐに行われた初個展では、画廊内の壁の隙間や、釘の穴に糸を詰めた作品を発表。前沢の行為によって隙間は顕在化し、その空間は、見慣れたものとはちがう新鮮なものとして鑑賞者の目に映り、意識の変化をもたらす。
ワークショップ参加者の行為が軸となって制作される近作も同様で、ただのワークショップの成果物だったものが、前沢が手を加えることによって意味を持ち、それをみる者の意識は変化する。作品について、「人びとがあらゆる事象を認知する段階で、意識が切りかわる瞬間である認知の境界に対する試み」と前沢自身が語るように、前沢の作品を通して私たちは無意識的に対象を「作品」と判断し、鑑賞していたことに気付かされる。私たちの身の回りには、そんな風に無意識的に感じとっているものが、気付かないだけでたくさんあるのだろう。旅先で感じる「その土地らしさ」も、そういうものかもしれない。
今展に際し、南信会場である茅野市美術館での打合せ当日、前沢は諏訪湖を囲むように立地する4つの諏訪大社や、茅野の縄文のヴィーナスを見学し、この土地がどういった地域なのか考えたという。前沢の生まれ育った飯田市とは、またちがう歴史観を持っているだろうこの土地に生まれ育った参加者と一緒にワークショップを行い、そこから作品を作り出す。いったい、どんな作品を作り出してくれるのだろうか。意識の切りかわる瞬間をずっとみつめてきた前沢なら、その土地に住む者が無意識的に感じとっているものまでも作品に表出させてくれるにちがいない。