学芸員の解説
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できあがっていく絵画、その完成のとき。
→ 塚田 裕について解説
辰野美術館
矢ヶ崎 結花
塚田裕の描く絵画の表面には、凹凸がある。それが絵の具の盛りあがりによるマチエールだけでなく、何かの付着でもあるということは、画面の前に立てば目を凝らさなくてもわかるだろう。小枝や木の葉、花などが画面に付着し、色彩に埋もれたり、色彩のうえで主張したりして、画面を構成している。
制作過程は次のとおりである。まず色を決め、画面にアクリル絵の具を流し込む。その後、キャンバスをアトリエの外の、林にしつらえた台に仰向けにして放置する。そして、タイミングを見計らって再び絵の具を流し込み、再度、林に放置する。このように繰り返しつつ、途中、画面に線を引くなどの行為を加え、仕上げへ向かう。キャンバスを野にさらす期間は、数週間から数ヵ月、長くて1年にもなるが、塚田自身が画面に手を加えている期間はそれよりも短い。繰り返し野にさらされたキャンバスは、林のありようと時間の流れが付加されることで、画面の「強度」を増す。一方で、全制作期間の内のわずかしかない塚田の描画行為は、最終的に画面全体の印象を決定付けることになる。
絵画制作に加えて、塚田は屋外インスタレーションも手がけている。これは当初、音楽祭を彩るいわば装飾を主眼とした取り組みであったが、次第に塚田の作品として、樹木やわら、萱、布を用いて展開されていった。そのなかでも、2010年の≪sky cloud≫は、中央の樹木と数本の添え木が、わらと萱の塊を支える、浮遊感のある立体造形と林の環境により構成されたインスタレーションである。有機的にも見える造形は、その場の環境になじみつつ、巨大な塊としての存在感を発揮していたことだろう。幅4mにもおよぶわらと萱で作られた塊の周囲を、足もとの砂利と抜け落ちたわらや萱を踏みしめて1周するとき、私たちは、足もとから頭頂に至るまでの全身でその何者でもない塊の存在を体感することになる。周囲の自然環境と造形とが一体となり、観る者の経験をつくりあげているが、それこそがこのインスタレーションの核だろう。このような制作の背景には、絵画制作同様、自然との共同的な仕事のしかたをみてとることができる。こうした方法は、60年代から70年代にかけての、描く、形を作るなどの表現行為よりも素材の配置や関係に力点を置いた、もの派やシュポール/シュルファスといった芸術動向との関連を想起させるが、塚田の場合は、自然物はあくまで表現の一要素として内面化されている。
塚田は長野県諏訪市に生まれ、東京で美術を学び、01年頃から再び長野県に戻り、富士見の地で制作を続けている。彼の絵画は当初、動物を主題にした具象的なものであったが、03年頃から、それまでの主題から徐々に手を引き、新たな絵画に移行していった。また、ちょうどこの頃、塚田は、図らずも大規模インスタレーションをはじめとした現代美術の仕事を間近で目撃し、体験することとなった。あえて美術の情報をシャットアウトし、自らの表現を模索していたこの当時の塚田にとって、現代美術とその作り手に直に接する経験は、新たな絵画へと歩みを速めるきっかけになったに違いない。
塚田は、自身の絵画制作やインスタレーションの創造を、制作のかたわらで取り組む稲作のサイクルに重ね合わせている。塚田の作品において、人間の操作はわずかであり、移りゆく季節や植物、環境の変化とともに、画面や場ができあがっていく。そして、完成を迎えるのである。ただし、コメの完成、言い換えれば収穫のタイミングは、稲穂が垂れ、黄金色に色づいたそのときであるが、絵画の場合、完成のタイミングは自明ではない。それゆえ、できあがっていく画面をどのタイミングで中断し、仕上げるかが問題になる。塚田は、余計な自我を取り払って制作に臨みたいと語る。しかし、この仕上げのタイミングばかりは、塚田の意思によって決断されなければならない。この意思は、わずかな線描や色彩の追加、あるいは余白を残す、手を加えないなどという判断によってあらわになり、作品全体の印象を取り決める。これにより、画面全体の「強度」と作品としての調和の双方を生かすことを試みているのである。
自然との共同的な作業は、自然のありようと時間を含み込んだ重層的な「強度」を画面に与えるが、塚田の手による色と線の操作は、画面に重なるその「強度」を、軽やかに作品という枠に収めることを可能にしている。つまり、できあがっていく作品の、その完成のとき、重なり合う「強度」が調和をもって私たちの目の前に提示されるのである。
制作過程は次のとおりである。まず色を決め、画面にアクリル絵の具を流し込む。その後、キャンバスをアトリエの外の、林にしつらえた台に仰向けにして放置する。そして、タイミングを見計らって再び絵の具を流し込み、再度、林に放置する。このように繰り返しつつ、途中、画面に線を引くなどの行為を加え、仕上げへ向かう。キャンバスを野にさらす期間は、数週間から数ヵ月、長くて1年にもなるが、塚田自身が画面に手を加えている期間はそれよりも短い。繰り返し野にさらされたキャンバスは、林のありようと時間の流れが付加されることで、画面の「強度」を増す。一方で、全制作期間の内のわずかしかない塚田の描画行為は、最終的に画面全体の印象を決定付けることになる。
絵画制作に加えて、塚田は屋外インスタレーションも手がけている。これは当初、音楽祭を彩るいわば装飾を主眼とした取り組みであったが、次第に塚田の作品として、樹木やわら、萱、布を用いて展開されていった。そのなかでも、2010年の≪sky cloud≫は、中央の樹木と数本の添え木が、わらと萱の塊を支える、浮遊感のある立体造形と林の環境により構成されたインスタレーションである。有機的にも見える造形は、その場の環境になじみつつ、巨大な塊としての存在感を発揮していたことだろう。幅4mにもおよぶわらと萱で作られた塊の周囲を、足もとの砂利と抜け落ちたわらや萱を踏みしめて1周するとき、私たちは、足もとから頭頂に至るまでの全身でその何者でもない塊の存在を体感することになる。周囲の自然環境と造形とが一体となり、観る者の経験をつくりあげているが、それこそがこのインスタレーションの核だろう。このような制作の背景には、絵画制作同様、自然との共同的な仕事のしかたをみてとることができる。こうした方法は、60年代から70年代にかけての、描く、形を作るなどの表現行為よりも素材の配置や関係に力点を置いた、もの派やシュポール/シュルファスといった芸術動向との関連を想起させるが、塚田の場合は、自然物はあくまで表現の一要素として内面化されている。
塚田は長野県諏訪市に生まれ、東京で美術を学び、01年頃から再び長野県に戻り、富士見の地で制作を続けている。彼の絵画は当初、動物を主題にした具象的なものであったが、03年頃から、それまでの主題から徐々に手を引き、新たな絵画に移行していった。また、ちょうどこの頃、塚田は、図らずも大規模インスタレーションをはじめとした現代美術の仕事を間近で目撃し、体験することとなった。あえて美術の情報をシャットアウトし、自らの表現を模索していたこの当時の塚田にとって、現代美術とその作り手に直に接する経験は、新たな絵画へと歩みを速めるきっかけになったに違いない。
塚田は、自身の絵画制作やインスタレーションの創造を、制作のかたわらで取り組む稲作のサイクルに重ね合わせている。塚田の作品において、人間の操作はわずかであり、移りゆく季節や植物、環境の変化とともに、画面や場ができあがっていく。そして、完成を迎えるのである。ただし、コメの完成、言い換えれば収穫のタイミングは、稲穂が垂れ、黄金色に色づいたそのときであるが、絵画の場合、完成のタイミングは自明ではない。それゆえ、できあがっていく画面をどのタイミングで中断し、仕上げるかが問題になる。塚田は、余計な自我を取り払って制作に臨みたいと語る。しかし、この仕上げのタイミングばかりは、塚田の意思によって決断されなければならない。この意思は、わずかな線描や色彩の追加、あるいは余白を残す、手を加えないなどという判断によってあらわになり、作品全体の印象を取り決める。これにより、画面全体の「強度」と作品としての調和の双方を生かすことを試みているのである。
自然との共同的な作業は、自然のありようと時間を含み込んだ重層的な「強度」を画面に与えるが、塚田の手による色と線の操作は、画面に重なるその「強度」を、軽やかに作品という枠に収めることを可能にしている。つまり、できあがっていく作品の、その完成のとき、重なり合う「強度」が調和をもって私たちの目の前に提示されるのである。