[ 観念美術 ]
松澤 宥
MATSUZAWA Yutaka
- 1922
- 諏訪郡下諏訪町生まれ(2月2日午前2時)
- 1941
- 四季派の文学に傾倒。この頃、詩作をはじめる
- 1946
- 早稲田大学理工学部建築学科卒業
建築事務所勤務を経て、1948年に帰郷
- 1949 − 84
- 諏訪実業高等学校定時制下諏訪分校で数学を教える
- 1955
- フルブライト交換教授として渡米。ウィスコンシン州立大学から翌年コロンビア大学大学院に移り、現代美術、宗教哲学を学ぶ
- 1964
- 6月1日「オブジェを消せ」との啓示を受け、絵画やオブジェなどの制作から、文字や記号、言葉や行為で表現する観念美術へ移行
- 1970
- 美学校(東京)にて「美術演習」を担当
- 1973
- 美学校・諏訪分校にて「最終美術思考」開講
- 1979
- 観念美術の創始を評価されアカデミア・ティベリーナ(ローマ)の永久会員に推挙
- 1992
- 『量子芸術宣言』(岡崎球子画廊)刊
- 2006
- 逝去(84歳)
決意しました。私は、これだと。現代文明に対する全否定の方法論、アンチテーゼはこれだと。一九六四年六月四日でした。
Then, I decided. That’s it. The methodology of complete denial, or, even the antithesis of contemporary civilization. It was June 4,1964.
おもな作品発表歴
- 1952
- 「第4回読売アンデパンダン展」(東京都美術館/東京都)以降63年まで8回出品
- 1963
- 「ψによる松澤宥個展」(青木画廊/東京都)
- 1967 − 68・70 − 71
- ハガキ絵画発信(1次・2 次 各12回)
- 1969
- 「美術という幻想の終焉展」(長野県信濃美術館/長野市)
- 1970
- 「ニルヴァーナ-最終美術のために-」(京都市美術館/京都府)
- 1971
- 「音会」(泉水入“瞑想台”/下諏訪町)
- 1972
- 「カタストロフィーアート・フロム・ザ・イースト展」(サン・フェデーレ画廊/イタリア)
- 1976
- 「ヴェネツィア・ビエンナーレ〈現代芸術の動向〉部門」(ヴェネツィア/イタリア)
- 1977
- 「サンパウロ・ビエンナーレ〈カタストロフィー・アート〉部門」(サンパウロ/ブラジル、サンパウロ・ビエンナーレ賞受賞)
- 1988
- 「量子芸術宣言一」(岡崎球子画廊/東京都)
- 1994
- 「ミメントゥ・モーライ 死を念え」(山口県立美術館/山口県)
- 1995
- 「第15回オマージュ滝口修造展 松澤宥」(佐谷画廊/東京都)
- 1997
- 「スピリチュアリズムへ・松澤宥1954 -1997」(斎藤記念川口現代美術館/埼玉県
- 2019
- 「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展(ジャパン・ソサエティー/ニューヨーク)
松澤宥とは、松澤宥の作品とは、
What Kind of Person is MATSUZAWA Yutaka? What is the Meaning of His Work?
1966年の「現代美術の祭典」(堺市体育館/大阪)で発表された「人類よ消滅しよう ギャティギャティ [行こう行こう]」と大きく墨書した《消滅の幟》は代表的な作品であるとともに、実体を「消滅」へと導こうとするメッセージとして、これからの美術が向かうべき方向に対する予言として、強く発信された。67年以降に2度にわたり各地へと郵送された「ハガキ絵画」は、メールアート(郵便芸術)のネットワーク力を利用し、受取人との相互交換による言葉(概念)の交流を図ったとされる。そして、その追求の過程において「量子芸術」や「80年問題」のような例も提示されてきた。「量子芸術」は88年、90年、92年と小冊子や書籍として刊行され、各出版物とリンクした展覧会が開催された。「80年問題」は、宇宙や自然環境について記された新聞記事を抜粋、文字として書き起こした方眼紙9枚を密教のマンダラの法則で並べ、80年以内に起こるとされた人類滅亡を示唆した。
『量子芸術宣言』※1 における松澤の宣言文に「この芸術は人間の感覚に直接訴えることは出来ない。直接見たり、直接触れたりすることは出来ない」というものがある。これは「量子芸術」に限ったことではない。物質性が極限までそぎ落とされた視覚伝達手段としての文字や記号表現を使って、事象を認識させるというシンプルな構成であり、観念美術作品の姿、あり方を伝えているように感じられる。そして宣言文は「この芸術は人間の知力によってのみ、即ち判断、推理、観念合成などの思惟作用によってのみ認知、把握し得る」と続く。「量子芸術」では物理学や数学の概念が組み込まれ、他分野の高度な言語記号が登場するため、文字としての共通理解はいうにおよばず、通常言語による伝達の域を超えてしまったようにすら感じられる。そしてまた、《この一枚の白き和紙の中に(白鳥の歌)》のように極めてシンプルな形態を持ち、詩的な感覚を持ったメッセージとして受け止めやすく、想像力をかき立たせるものも存在する。後年には朗読パフォーマンスがたびたび開催され、松澤自身の生の声を介して鑑賞者に直接的なイメージが渡されていく作品もある。
第二次大戦後、「反芸術」「物質主義」「アクション」「ハプニング」と、アヴァンギャルド(前衛)の運動が各地で展開された。これらは常に最新の美術のメタモルフォーゼ(変化・変容)として受容されてきたといえるが、「消滅(カタストロフィー)」へと導いた唯一の芸術が観念美術なのだ。松澤は、それまで「美術」と呼ばれてきたものを消滅させた。作家の思い描いたイメージはもはや物質を介することなく受け手の意識のなかに存在することが可能になったのである。視覚や触覚に頼らず、知力で受けとめ、意識でとらえる〝絵画〟が誕生した。それは単なる個々の空想の産物ではない。作家とのコミュニケーションにより導かれ、すべての人がアクセスすることが可能な意識領域(精神世界)において、初めて松澤の〝絵画〟がその姿を現す。仏教用語で「ニルヴァーナ(涅槃)」という言葉があり、輪廻から解放された状態という意味と理解してよいと思うが、松澤のいう「ニルヴァーナ」は芸術が物質や実体から解き放たれた先の領域のことなのだろう。それぞれの作品が「消滅」と「ニルヴァーナ」へと誘う装置としての役割を持つのだ。
鈴木 一史(山ノ内町立志賀高原ロマン美術館)
※1 『量子芸術宣言』(岡崎球子画廊、1992年2月22日)
※2 『Ψによる松澤 宥個展』(青木画廊、1963年)
In 1964, MATSUZAWA Yutaka, who had received a revelation to “vanish matter” at midnight, discarded his artistic visual expression and materiality in his w o r k s , a n d b e g a n p u r s u i n g t h e r o a d t o “dematerialization of work of art = vanishment,” using only letters and symbols in his expression. In addition, his message, “Humans, Let’s Vanish, Let’s Go, Gate, Gate,” which was written in his work, “Banner of Vanishing” (1966) was strongly sent as a prophecy for which the fine arts should proceed from that point on. His own style, representing the conceptual world which was perceived in his mind and captured with his consciousness, was created anew. MATSUZAWA’s works and performances might be seen as a device to make viewers look at the world, and invite them to the world of conceptual art.
Suzuki, Kazufumi / Shiga Kogen Roman Museum
[安曇野会場] 終了しました
2021.8.14sat - 9.12sun
安曇野市豊科近代美術館
9:00-17:00休館日 = 月曜日(祝日の場合は翌日)
長野県安曇野市豊科5609-3電話 0263-73-5638