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解説
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長野県戦後現代美術発信のこれからへ向けて
Introduction of Post-war Contemporary Art in Nagano Prefecture toward the Future
太田市美術館・図書館※1
矢ヶ崎 結花
シンビズム展は、今回で4回目を迎えた。2017年、長野県芸術監督団事業の一環として開始したこの取り組みは、県内のさまざまな立場にある学芸員が協働し、この地の美術を発信する展覧会の開催を通して、学芸員同士が研鑽し、連帯する活動体となった。このネットワークは、今後長野県全体の美術の発展と深化に寄与することが予測されるし、そうならなければならない。シンビズムという活動体を組成した故本江邦夫監督にも、そうした意図があった※2。
※1 諏訪市生まれ。2010年−2017年 諏訪市美術館学芸員、2019年−2020年 辰野美術館学芸員を経て現職
※2 『シンビズム3』(一般財団法人長野県文化振興事業団、2019年、p.11.)
※2 『シンビズム3』(一般財団法人長野県文化振興事業団、2019年、p.11.)
長野県における現代美術の紹介
さて、「現代美術」とは、捉えづらい言葉である。人によってこの言葉でイメージする美術は異なるのではないか。ここでは、その齟齬をなくすために、本江監督の言葉を借りて「社会や状況、伝統や因習を批判的にとらえる」※3 作品と定義することとする。
※3 『シンビズム』(同上、2017年、p.10.)
長野県の現代美術については、これまで笠原明子や小崎軍司が考察している。芸術学や芸術教育が専門の笠原明子は、『信州の現代美術の世界』に、「現代美術の諸相と長野県」と題した文章を寄せている※4。それは、1940年代半ばの西欧のアンフォルメル、米国の抽象表現主義からはじまる欧米における現代美術の潮流を概説し、そこに長野県の作家を接続させる内容である。長野県という足元からではなく、世界的な美術史の視点から、各作家の表現を系統立てて捉えている。
※4 『信州の現代美術の世界:各地で活躍する信州の現代作家たち(長野県美術全集第12巻)』(郷土出版社、1997年、pp.109−118.)
一方、郷土の美術史家・小崎軍司は、大著『長野県美術大事典』において長野県の美術を詳細に紹介している。なかでも「美術史編」と題された章では、古代・中世から1985年までの県内における美術動向を年代順で綴っている。とりわけ現代美術については、50年代半ばから記しはじめ、60年以降次第に分量を増やしながら、県内美術館との関わりや、各地での現代美術展についてまとめており、豊富な情報を確認することができる。また、冒頭の「刊行にあたって」では、県内での現代美術に対する無理解をしのばせる箇所があるため、当時(86年)の証言として引用して紹介したい。
1960年代からさかんになった、いわゆる「現代美術」は、その表現形式、資材、手段は多岐多様化しているし、まだ一般公衆に受容されていない作家や作品も多い。特に長野県下では、最近ようやく軽井沢高輪美術館、美ヶ原高原美術館などでその一端に触れられるだけで、「現代美術」を積極的に紹介する公立美術館や画廊は皆無といっていい。このため一般公衆の関心は薄く、自由な発想とはばたく想像力によって、新時代の美術の地平を切り開こうとしている芸術家にとっては心もとない状態が続いている。※5
※5 小崎軍司『長野県美術大事典』(郷土出版社、1986年、pp.4−5.)
ここから、当時、長野県において現代美術を広く公開する環境は整えられていなかったとみることができる。では、全国規模でみるとどうか。日本においては、80年代から美術館建設が増加し、現代美術を紹介する展覧会が徐々に増えている。たとえば、東京国立近代美術館では、81年に「1960年代−現代美術の転換点」、そして84年に「メタファーとシンボル:現代美術への視点」を開催している。また、富山県立近代美術館での「第1回現代芸術祭−瀧口修造と戦後美術−」(82年)も瀧口と親交のあった現代美術作家の作品(音楽やパフォーマンス含む)で構成された展覧会だった。このように、一部の公立美術館では現代美術を扱いはじめた時期である。しかしながら地方においては、80年代当時、現代美術の評価はまだ定まっていないばかりか、それらを公立美術館で展示することはリスクとすら考えられていた、という見解がある※6。
※6 拝戸雅彦「第8章現代美術の名古屋」(『アイチアートクロニクル1919−2019』、愛知県美術館、2019年、pp.183−187.)
一方、私立美術館に関しては、長野県内でも、小崎が述べるように軽井沢高輪美術館(現セゾン現代美術館)や美ヶ原高原美術館、そして少し時代が新しくなるが駒ヶ根高原美術館(1993−2017年)において、現代美術展は積極的になされていた。加えて、美術館の外へ目を移すと、日本各地での潮流と軌を一にし、80年代半ばから、現代美術による実験的な野外芸術展が開催されるようになっている。その最初期の例としては、84年の「夜間瀬川野外美術展」(山ノ内町)や「アートフェスティバル飯田’84」(飯田市)が挙げられる。これ以降、美術館という「美術」のための特権的な場を拒否し、場の文脈と一体となった芸術表現の隆盛、言い換えればインスタレーションが増加※7 していく。具体的には、86、87年「犀川国際アートフェスティバル」(信州新町)、87年「小布施系−留蔵、穴蔵、はたん場、そして、アート・サーキット」(小布施堂周辺、小布施町)、88年「場所の生態学」(東洋精工松本工場火事跡地、松本市)があり、近年では2002年「まつしろ現代美術フェスティバル」(長野市)、2010年「原始感覚美術祭」(大町市)、2014年「北アルプス国際芸術祭」(大町市)が現在まで継続して開催されている。
※7 出原均によると、日本におけるインスタレーションは、1982年以降、作品ジャンルとして捉えられ、急速に普及した。出原均「「インスタレーション」の展開とその受容」(『美學』50巻4号、2000年、pp.25−36.)より
このような現代美術展が県内各地でおこなわれていながら、前述の通り、公立美術館での現代美術展や体系的な現代美術の研究、歴史化は、これまで十分になされてきたとはいえない。管見の限りで数少ない事例を挙げれば、94年の辰野町郷土美術館(現辰野美術館)におけるグループ展「立ちあがる境界」※8、2017年の茅野市美術館「在る表現−その文脈と諏訪」※9 がある。前者は、県内出身現代美術作家の現在を示すことに成功した当時としては先駆的な例であり、後者は、現代美術表現を、土地との関係という切り口で紹介している点で、地域と美術との関係に光を当てる試みであった。加えて、2002年から2014年まで断続的に開催されてきた小海町高原美術館の「現代アートシーン」※10 は、県内の現代美術を紹介する貴重なシリーズ企画だ。また、2002年の長野県信濃美術館「現代の表現 彼女たちが創る理由」は、草間彌生、小山利枝子、丸田恭子の県内出身者を含む女性の現代美術作家5人に焦点を当てた、県立美術館主催の現代美術展である※11。
※8−10 それぞれの企画者はシンビズム参加学芸員であり、彼らの成果や蓄積は「シンビズム4」の実現に大きく寄与している。※8企画:赤羽義洋、※9企画:前田忠史、※10企画:中嶋実
※11 このほか、長野県信濃美術館主催の最初期の現代美術展は、次の通り。88年「今日の金属造型 ドイツ・日本・信州の現代彫刻展」、91年「オノサト・トシノブ展 円を描いた画家」、94年「信州が生んだインターナショナルアーティスト 草間彌生展」
※11 このほか、長野県信濃美術館主催の最初期の現代美術展は、次の通り。88年「今日の金属造型 ドイツ・日本・信州の現代彫刻展」、91年「オノサト・トシノブ展 円を描いた画家」、94年「信州が生んだインターナショナルアーティスト 草間彌生展」
シンビズム4の作家たち
前掲の引用文で、小崎が当時ここまでに現代美術の紹介が足りないことを嘆いていたのは、長野県の現代美術作家の層が厚いことの現れと捉えることができるのではないか。事実、小崎は『長野県美術大事典』において、近代以前の作家と同等に現代美術作家を多数紹介している。そしてそのなかでも、国内外で活躍する作家は、今や全国区となった草間彌生以外にも、本展で紹介する作家はじめ決して少なくはない。「シンビズム4」では、その厚い層の一端を紹介する。これから調査研究がますます進められるであろう長野県戦後現代美術の様相のなかでも、本展で焦点を当てるのは、北澤一伯、小林紀晴、小松良和、小山利枝子、辰野登恵子、戸谷成雄、根岸芳郎、藤森照信、松澤宥、丸田恭子、母袋俊也の11人である。戦後初期から活躍した日本現代美術における草分け的存在から、比較的近年の作家であるものの、その作品と活動において紹介すべきと判断した作家を選出したということになるが、展示スペース等の制約により選出を断念した作家もいることをあらかじめお断りしたい。
さて、11人の作家のうち、小林紀晴と松澤宥を除くと、みな45−55年代の生まれであることがわかる。戦後日本の現代美術は、俯瞰すれば、「読売アンデパンダン展」の開催(49−63年)、具体美術協会の出現(54年)、反芸術の隆盛(60年代前半)、「もの派」の台頭(60年代末−70年代前半)…というように、特徴ある公募展や、芸術のあり方を問う態度の潮流を確認することができるが、彼らはそれらを時代背景に成長したといえる。そして大学で作品制作にまさに対峙しているそのときには、モノの配置による関係を作品とする「もの派」に示されるように、旧来通りの手技によって「作り、描く」ということに対して、慎重な態度が示される時代となっていた。
たとえば、辰野登恵子の初期の版画は、横罫の既製紙を写真製版して用いている。その版に少しずつ手を加え差異を生み出すことで、既製品としてわれわれの生活に埋没していたその姿形=イメージを現実に浮かび上がらせることに成功している。小松良和は、もとは絵画を学んでいたが、大学院修了当初からインスタレーションを5年にわたり発表。木材等で空間を作り上げるもの、土地や地形を作品へ文脈的に組み込むものもあったが、帰郷後、再び絵画を手掛け、描くことを再考する制作に至った。小山利枝子も、今でこそ花を主題とした大画面の絵画で知られるが、学生時代はインスタレーションに取り組んだ。代表的なものは、網に金属の輪を通して立体化させた不定形なオブジェのシリーズである。それは、やがて再開した絵画からまるで溢れ出てきたかのように空間の一角を占拠するというものに増殖していった。北澤一伯は彫刻を出発点として、場所と記憶との関係性に重きを置いて制作している。《囲繞地》[いにょうち]と題された一連のインスタレーションは、北澤により布置されたモノと場所とが互いに引き合い、強度を増す空間であっただろう。彫刻の問題であっても、モノとしての在り方に重きを置いているのは戸谷成雄だ。「もの派」への批判的応答のように、再び手技による制作で既存の美術を乗り越えようと展開された「ポストもの派」。その代表格と称される戸谷は、彫刻概念を問う作品シリーズを展開したのち、チェーンソーによる木彫へと辿り着いた。
一方で、海外で研鑽を積んだ作家たちの作品は、日本での「もの派」による影響は直接的にはみられず、より一層絵画を問い、「描く」ことに向かっている。たとえば、根岸芳郎は70年代後半に米国ボストンで絵画を学んだ。根岸は一貫した手法を用いながら、色と滲みを絵画へと展開させ続けているが、留学時代に触れたカラーフィールド・ペインティングからの影響は見逃せないだろう。また、丸田恭子も米国に渡り、アート・ステューデンツ・リーグにて絵画を学んだ。そこで線の重要性を認識し、絵画において、色よりも線によって画面を構成することに注力した結果、現在の螺旋状の線が渦巻く作品が生まれた。一方、ドイツに渡り、そこで絵画の形式、言い換えれば外形に注目したのは母袋俊也である。日本の外から、日本と西洋の絵画形式を見比べてみると、そこには対照的な違いがみえてくる。母袋は、障屏画の偶数性、余白、非中心性等の形式と、祭壇画の奇数性、全体感、中心性等の形式に精神性との相関関係があるのかを、制作を通して探求している。
これまで述べてきた8人の作家とひと回り以上世代が異なるのは、小林紀晴と松澤宥だ。小林紀晴は、11人の作家の中で最も若い世代の写真家である。長くテーマとしているのは「祭り」だ。最新の写真集『孵化する夜の啼き声』(2019年)は、日本全国40カ所ほどの祭りを撮影した写真で構成される。神と人、土地と人、過去と現在をも結ぶ依り代のような存在の祭りを通して、北澤のインスタレーションのように、場所への視線を変容させてくれる。そして松澤宥は、日本で最も早く「概念芸術」を実践した人物である。64年、「オブジェを消せ」という啓示を受け、美術を、モノではなく言葉で成り立たせる方法で発表した。彼が唱えた「人類消滅」「最終美術」という言葉は、一見して否定的な響きを思わせるが、それを強く、多くの人へ呼びかけ、繰り返したパフォーマンスからは、生き続ける人類と、生み出され続ける美術の力強さが逆説的にみえてくる。
そして、これまでの作家と最も性質を異にするのが藤森照信である。建築史家であり、近現代建築を中心とした彼の研究は、世界的にみても重要な学問的蓄積となっている。しかし歴史研究だけでなく、91年以降の彼による実践、つまり建築物も重要である。自然素材と伝統的な工法を用いながらも古びた印象は与えないその建築は、小林が撮影する祭りのように、過去と現在とを結ぶ依り代のような特徴を備えている。
終わりに-現代美術発信のこれからへ向けて
本展のように、長野県という枠組みのなかで展覧会を開催するとき、「信州」という呪縛がいつもつきまとう。それはつまり、「自然豊かな信州」「信州の雄大な山々」など、風景を題材とした美術という紋切型のイメージだ。しかし、今回紹介した彼らにそのような表現が認められることはほとんどない。藤森や小林の作品には、信州の自然や風土を想起させる作品があるが、それらはあくまで素材として自然を用い、主題として用いているのではない。当県において現代美術の発信が遅れたのは、凝り固まった信州美術のイメージも影響しているのではないか、とも考える。
さて、藤森照信は、自身と同様に諏訪地域で幼少期を過ごした建築家・伊東豊雄を引き合いに出し、「同じ頃に同じ地域で育っても、作るものは正反対。風土と人との関係は一筋縄ではいかない」※12 と述べている。本展では、信州という文脈に作家や作品を無理やり押し込めるのではく、信州ゆかりの作家による現代美術作品を、各々の作品が最もあるべき姿で鑑賞者の目に触れられるよう、学芸員一同考えを練ってきたつもりである。そうした展示において、まずは各々の作品を見つめ、鑑賞者一人ひとりと作品との関係を深めていただきたい。そして願わくば、その一筋縄ではいかない風土と人、作品との関係へ、本展をきっかけにともに考えを巡らせ、これからの長野県における現代美術研究の深化とその発信にご期待いただきたい。
※12 著:藤森照信、写真:増田彰久『藤森照信建築』(TOTO出版、2007年、p.94.)
Art Museum & Library, Ota
Yagasaki, Yuka
This year marks the fourth SHINBISM Exhibition, which started as one of the various activities of the Nagano Prefectural Artistic Supervisory Team’s projects in 2017. In order to materialize this event, Team Shinbism was organized, where curators having different backgrounds learn and help each other through organizing exhibitions for the sake of introducing art produced in the area. Team Shinbism, in other words, the Shinbism Network, was planned with the expectation of contributing to the development and deepening of art in whole of Nagano Prefecture in the future, and was proposed by Mr. Kunio Motoe, the late Art Director of Nagano Prefecture and an organizer of the SHINBISM Network as well.
By the way, contemporary art in Nagano Prefecture has been introduced since the mid-1980s mainly at exhibitions held by private museums or outdoor exhibitions, but public museums were not active enough in doing so in the earlier days. In response to this, SHINBISM 4 “focuses on artists who play an important role in tracing the history of post-war contemporary art in Nagano Prefecture.”
The artists involved in this exhibition number eleven: KITAZAWA Kazunori, KOBAYASHI Kisei, KOMATSU Yoshikazu, KOYAMA Rieko, TATSUNO Toeko, TOYA Shigeo, NEGISHI Yoshiro, FUJIMORI Terunobu, MATSUZAWA Yutaka, MARUTA Kyoko and MOTAI Toshiya. TATSUNO, KOMATSU, KOYAMA, KITAZAWA and TOYA are artists who developed their productions individually, responding to the tendency in art from the end of the 1960s to the mid-1970s, when artists were cautious not to produce their works by hand. Some of them stuck to printmaking or installation, others, on the contrary, resolved the problem by way of producing their works actively using their hands. On the other hand, NEGISHI, MARUTA and MOTAI found their points of view and formed their styles while studying abroad, and still continue to paint. KOBAYASHI and MATSUZAWA are younger and older than the other nine artists by more than a generation, respectively. KOBAYASHI, a photographer, focuses his eye on the sites found in festivals. His style has something in common to KITAZAWA’s installations. MATSUZAWA, a pioneer of conceptual art in Japan, is a very important contemporary artist in Nagano Prefecture. Finally, FUJIMORI, whose major theme is the history of modern and contemporary architecture, began constructing buildings by himself since 1991, which embody a kind of connection between the past and present, much like the festivals shot by KOBAYASHI.
This exhibition is considered and planned by all of the curators so that each of the contemporary art works produced by the artists connected to Nagano Prefecture are exposed to viewers in the text of what it is meant to be, not putting the artists and their works in the stereotypical context of Shinshu. In the exhibition, first of all, it is desirable that you look at each of the works carefully and deepen your understanding about them. Moreover, it would be our pleasure if you, being moved by this exhibition, think about the relationship among the climate and its influence on the artists and their works, though it may be very hard to grasp. We sincerely appreciate your support for us to deepen our research on contemporary art in Nagano Prefecture and introduce its results to you.
By the way, contemporary art in Nagano Prefecture has been introduced since the mid-1980s mainly at exhibitions held by private museums or outdoor exhibitions, but public museums were not active enough in doing so in the earlier days. In response to this, SHINBISM 4 “focuses on artists who play an important role in tracing the history of post-war contemporary art in Nagano Prefecture.”
The artists involved in this exhibition number eleven: KITAZAWA Kazunori, KOBAYASHI Kisei, KOMATSU Yoshikazu, KOYAMA Rieko, TATSUNO Toeko, TOYA Shigeo, NEGISHI Yoshiro, FUJIMORI Terunobu, MATSUZAWA Yutaka, MARUTA Kyoko and MOTAI Toshiya. TATSUNO, KOMATSU, KOYAMA, KITAZAWA and TOYA are artists who developed their productions individually, responding to the tendency in art from the end of the 1960s to the mid-1970s, when artists were cautious not to produce their works by hand. Some of them stuck to printmaking or installation, others, on the contrary, resolved the problem by way of producing their works actively using their hands. On the other hand, NEGISHI, MARUTA and MOTAI found their points of view and formed their styles while studying abroad, and still continue to paint. KOBAYASHI and MATSUZAWA are younger and older than the other nine artists by more than a generation, respectively. KOBAYASHI, a photographer, focuses his eye on the sites found in festivals. His style has something in common to KITAZAWA’s installations. MATSUZAWA, a pioneer of conceptual art in Japan, is a very important contemporary artist in Nagano Prefecture. Finally, FUJIMORI, whose major theme is the history of modern and contemporary architecture, began constructing buildings by himself since 1991, which embody a kind of connection between the past and present, much like the festivals shot by KOBAYASHI.
This exhibition is considered and planned by all of the curators so that each of the contemporary art works produced by the artists connected to Nagano Prefecture are exposed to viewers in the text of what it is meant to be, not putting the artists and their works in the stereotypical context of Shinshu. In the exhibition, first of all, it is desirable that you look at each of the works carefully and deepen your understanding about them. Moreover, it would be our pleasure if you, being moved by this exhibition, think about the relationship among the climate and its influence on the artists and their works, though it may be very hard to grasp. We sincerely appreciate your support for us to deepen our research on contemporary art in Nagano Prefecture and introduce its results to you.