[ 建築 ]
藤森 照信
FUJIMORI Terunobu
- 1946
- 長野県茅野市宮川高部生まれ
- 1965
- 長野県諏訪清陵高等学校卒業
- 1971
- 東北大学工学部建築学科卒業後、東京大学大学院に入学
- 1978
- 東京大学大学院建築学専攻博士課程満期退学
- 1982 − 2010
- 東京大学生産研究所専任講師、以後、助教授、教授
- 1986
- 赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を結成
- 2010 − 2014
- 工学院大学教授
- 2016
- 東京都江戸東京博物館館長
〝土〟と〝炭〟
自然界はむろん人工物でも、すべての物資は炭素を含まない無機物と炭素を含む有機物に二分され、前者は長い年月の間に崩れ、砕かれ、磨られて〝土〟に帰る。後者は、火に当たると燃えて〝炭〟となる。炭の建材は古今東西を探しても、日本の〝焼杉〟以外に見当たらない。
その焼杉を作り、使って簡単な場というか空間を作り、そのなかで映像を上映し、周囲の壁にパネルを展示したい。
Tossing my thoughts around, while continuing to use each of the materials practically, I finally came upon two answers: “earth” and “charcoal”.
The elements composing the natural world, including even artificial materials, are categorized into two groups: inorganic material without carbon, and organic material containing carbon. The former is crumbled, crushed and finally returned to the earth. The latter, when kindled, burns and finally becomes charcoal over time. Even if you look around the world, you won’t find any building materials made of charcoal, except for “Yakisugi,” which is charred wood made of Japanese cedar.
I would like to make Yakisugi by myself, then, build a kind of simple site, or a space utilizing the Yakisugi I made, where I can show videos and exhibit panels on the walls.
おもな作品発表歴
- 1991
- 「神長官守矢史料館」(茅野市)
- 1995
- 「タンポポハウス」(東京都)
- 1997
- 「ニラハウス」(東京都)
- 2000
- 「熊本県立農業大学校学生寮」(熊本県)
- 2004
- 「高過庵」(茅野市)
- 2006
- 「誰も知らない日本の建築と都市:第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展|日本館」(イタリア)
- 2007
- 「藤森建築と路上観察」(東京オペラシティアートギャラリー/東京都)「焼杉ハウス」(長野市)
- 2008
- 「藤森照信建築展」(小海町高原美術館/小海町)
- 2010
- 「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」(茅野市美術館/茅野市)、市民とのワークショップにより「空飛ぶ泥舟」を制作
- 2012
- 「Terunobu Fujimori: Architect」(ヴィラ・シュトゥック/ドイツ)
- 2015
- 「草屋根」(滋賀県)
- 2016
- 「モザイクタイルミュージアム」(岐阜県)
- 2017
- 「低過庵」(茅野市)
「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」(水戸芸術館現代美術センター/茨城県)
- 2020
- 「高部公民館」着工(茅野市、21年度竣工予定)
おもな受賞歴
- 1981
- 日本都市計画学会論文奨励賞(論文)
- 1983
- 第37回毎日出版文化賞(書籍)
- 1986
- サントリー学芸賞(書籍)
- 1997
- 第29回日本芸術大賞(建築)
- 1998
- 日本建築学会賞(論文)
- 2000
- 日本建築学会賞(建築)
- 2002
- 第1回毎日書評賞(書籍)
- 2020
- 日本芸術院賞(建築)
建築家・藤森照信はどのようにして生まれたか
What was the driving force behind FUJIMORI Terunobu becoming an architect?
守矢家が持つ貴重な古文書を収蔵・展示する史料館を茅野市で建設する話が持ち上がった際、守矢家78代当主・守矢早苗氏は幼馴染の藤森に相談をすることにした。相談を受けた藤森は、この土地にふさわしい建築をつくることができる建築家が思い当たらず、「この土地の歴史や風土をより理解してつくらなければ、神様に失礼にあたる。(中略)ならば自分で設計するしかない」※1 と考え、設計にとりかかる。文化財を保存する現代建築のため、耐震耐火は必須の条件であった。デザインは当初民家風のデザインを考えていたが、長い歴史を持つ守矢家の建築に、歴史の浅い民家形式は合わないと感じ苦悩する。しかし建築家・吉阪隆正(1917-80)によって戦前に書かれた、中国東北部の草原で見た小さな泥づくりの家についての文章に出会い、自身の求めているものだと感じ、デザインのイメージは広がっていった。また、吉阪の文章について藤森は「ものをつくるときは余計なことを考えるな、世間の目とかまわりの評価とか、そういうのはチャラにしてやりなさい、っていうふうに読めた」※1 とし、素直に自身の感性で設計に向き合った。設計では「構造や設備は現代の科学技術でつくり、外側の仕上げに自然材料を使う」ことを試みる。
前田忠史(茅野市美術館)
※1 藤森照信『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』(平凡社、2020年)
※2 筆者によるインタビューより(2010年1月4日)
※3 「回想・藤森好みの50選」(『NA建築家シリーズ04 藤森照信』、日経アーキテクチュア編、日経BP社、2011年)
※4 伊東豊雄×藤森照信トークセッション「諏訪の記憶、21世紀の建築」(2010年8月22日、茅野市民館マルチホール、茅野市美術館企画展「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」関連企画)
The Jinchokan Moriya Historical Museum was designed by FUJIMORI Terunobu, with his idea of the things that “only exist as they are,” in mind, considering the environment of the place where he was born and grew up, along with his deep understanding of the history of the religious faith of the Jinchokan Moriyas family, the head of whom had been the leading Shinto priest of the Suwa Great Shrine “Upper” for generations. FUJIMORI’s design and concept behind the museum were created by way of “ripening” a variety of “What Fujimori observed,” following in his footsteps. Moreover, it can be said that the basics of his inner self originated not only from the worship of nature nurtured in the village where he was born and grew up, but also from his feelings and experiences cultivated in his everyday life there. Consequently, FUJIMORI’s encounter with the opportunity to design the Jinchokan Moriya Historical Museum enabled him to exhibit the inner self of FUJIMORI Terunobu, which, as a result, brought FUJIMORI Terunobu to be an architect.
Maeda, Tadafumi / Chino City Museum of Art
[安曇野会場] 終了しました
2021.8.14sat - 9.12sun
安曇野市豊科近代美術館
9:00-17:00休館日 = 月曜日(祝日の場合は翌日)
長野県安曇野市豊科5609-3電話 0263-73-5638