ARTISTS作家一覧
津金多朗TSUGANE Taro

略歴
| 1984 | 長野県生まれ |
|---|---|
| 2008 | 多摩美術大学美術学部工芸学科陶専攻卒業 |
| 2010 | 多摩美術大学大学院美術研究科 博士前期課程工芸専攻陶研究領域修了 |
おもな作品発表歴
個展
| 2011 | 個展(GALLERY b. TOKYO/東京都) |
|---|---|
| 2013 | 個展(GALLERY b. TOKYO/東京都) |
グループ展
| 2008 | 「多摩美術大学工芸学科卒業制作展」(スパイラルガー デン/東京都)、「日中韓現代陶芸-新世代の交感展」(広州石湾陶瓷博物館/中国石湾) |
|---|---|
| 2009 | 「circle展」(四谷三丁目ランプ坂ギャラリー CCAAアートプラザ/東京都)、「日中韓現代陶芸VI-新世代の交感展」(愛知県陶磁美術館) |
| 2010 | 「Heart Beat Exhibition 富士-富楽十四景」(ふじよしだ街の駅/山梨県) |
| 2011 | 「多面体展」(茅野市民館/茅野市)、「国際陶芸フェスティバルinささま」(島田市山村都市交流センターささま/静岡県) |
| 2012 | 「第86回国展企画展示新しい眼-若手作家の挑戦状」(国立新美術館/東京都)、「多面体展」(茅野市民館) |
| 2013 | 「1984のアトリエ」(茅野市民館)、「第12回まつしろ現代美術フェスティバル」(長野市)、「第2回国際陶芸フェスティバルinささま」(島田市山村都市交流センターささま/静岡県) |
| 2014 | 「まちの展」(茅野市民館) |
| 2015 | 「メイメイアート」(茅野市民館) |
| 2016 | 「まちの展」(茅野市民館) |
| 2017 | 「檸檬は爆発の時を待っている。」(馬喰町ART+EAT/東京都) |
| 2022 | 長野商工会議所だより 1~12月号表紙絵原画制作 |
| 2023 | 「長野県ゆかりのアーティストコンサート×ライブペインティング」(キッセイ文化ホール/長野市) |
おもな受賞歴
| 2008 | みずなみ陶土フェスタ グランプリ受賞 |
|---|---|
| 2021 | 長野商工会議所だより 第13回芸術家発掘コンテストグランプリ受賞 |
STATEMENTステートメント
展げ、展く。
「シンビズム5」の作家選考資料を見ているとき、気になった作品のひとつが津金多朗の《泡の骨》(2013年)だった(図録掲載の《もののあはれ》はその系列作品)。何が私の心をとらえたかといえば、第一に人体をモチーフとしていること。これはイタリア・ルネサンス美術から美術史を学び、日本近代彫刻の専門館に勤めている私としては、抽象的な作品は好きだけれど、それ以上に人体表現の研究をしている作家はやはり気になる。第二に、人体の立体表現の場合、色彩を伴わないケースが一般的には多いのだけれども、色彩も彼の重要な表現形式のひとつと見受けられたこと。
そして第三。これが一番私の心を動かしたことだが、頭部が泡の集合体として形作られていることが面白く、さらに泡がはじけるように無数の孔があることも、とても興味をそそられた。頭部の各部位を克明に形作らず曖昧にし、それでいて流動感ある表現は、メダルド・ロッソの彫刻表現を彷彿とさせた。矛盾しているような評言だが「不確かな実在」。そんな印象を受けた。そうした印象を強くしているのが作品表面に無限に広がる無数の孔々。これらの孔は、ルーチョ・フォンタナがキャンバスを切り裂いて二次元の絵画に三次元的感覚、空間意識を持ち込んだことを思い起こさせる。フォンタナの仕事になぞらえて言うならば、次元を拡張させているようでもある。
考えてみれば、いや考えるまでもなく、ギヨーム・アポリネールの詩よろしく頭部には7つの孔(扉)があるわけだし、皮膚には通常は意識しないけれども毛穴や汗孔が無数にある。ミクロレベルで言えば、人間はもともと孔だらけの存在だ。さらに現在、ナノファイバーの多孔性がわれわれ現代人の生活を便利にしていることを思えば、孔の世界をもっと知ってみたいと思いを巡らせてみたり…。そんなことを連想していると、実際作品を見て話を聞いてみたいと思ったのだ。
話を聞いてみると、これまでいろいろと紆余曲折を経てきたらしい。現役の美大受験時はCDのジャケットデザインやグラフィティに興味があったことからデザイン科を志望。しかし専門試験の平面構成に苦手意識があったこともあって、あえなく浪人。平面の世界への突破口が見つからない閉塞感をいだきながら、その打開策として立体表現のひとつ、工芸を選択することにした。
工芸科に入学すると粘土が少しずつ面白くなってきた。次第に形だけでなく素材感を大切にしたいと考えるようにもなった。工芸の陶の世界では心棒を入れることはNGであったけれども、そのような人のやったことのないような造形方法を試すなどいろいろと試行錯誤を重ねるうちに、形の流動的な泥状の粘土(泥漿)を使って作品を制作するようになった。それは自然界の移ろい(波打ち際や人間の動き)をテーマにしようとしたことへのひとつの解答でもあった。その移ろいを表現するなかで特に意識したのが「外と内」「ネガとポジ」の関係性であったとも。「外と内」への意識はやがて「実と虚」として先鋭化された。表現方法を試すなかで磁土や陶土の技法研究を重ねていくと、流動感に加えて色を付けてみたいとも思うようになった。そうしたなかで生まれたのが《泡の骨》だったという。内と外は相反するものではなく、つながっているもの。それは自然と人間の関係にも言える。決して対立しているのではなく、どこかでつながっている。その境界線は在るようで無い。そして無いようで在る。そうした曖昧な感覚をこの作品に込めたそうだ。
現在の津金の特長として立体作品と並行して平面作品を追求していることが挙げられる。平面作品の出発点は大学卒業後、焼き物の設備の不足から思うように制作を続けることができなくなり、制作に特殊な設備と時間のかかる陶ではなく、自分のインスピレーションをすぐに展開できる場として平面に活路を見出したことだった。
まずは平塗を、つづいてムラの面白さを追求しはじめた。筆跡を残す表現を試してみたり、木の小口を作品に取り入れてみたり。そのうち子育てに忙しくなると絵具ではなく、色鉛筆に表現手段を持ち替えた。それは子どもが色鉛筆で描く描画に触発されて、色鉛筆の面白さに気が付いたためだという。偶然引かれた線から形を紡ぎ出してみたり、息遣いの伝わるようなストロークで描いてみたり、手探りで平面表現を続けるうちに平面の世界でも自分の表現が実現できるという手ごたえを得たことで、新たな境地が見えてきたという。
こうした話を聞いてみると、津金自身がその時々の環境や状況に応じて移ろいながら制作活動を続けてきたことがわかる。聞けば、ここ何年かの絵画制作をふまえて陶にもまた力を注ぐ予定だという。頑なに表現ジャンルを推し進めていくのではなく、その時々の状況や興味に柔軟に対応してきた津金。その対応は積極的とも消極的とも言えず、どこか自然体な印象を受ける。万物流転。変態しながら表現の地図をどのように広げていくか楽しみだ。
公益財団法人碌山美術館 武井敏
outside ↔ inside
“Skull of bubbles” was produced in 2013. The sense of fluidity exuded in this work, where the head is formed as an assemblage of bubbles, was reminiscent of the expression of Medardo Rosso’s sculptures in connection with its daring abstraction. Moreover, the unnumbered holes in his work, spreading to infinity, remind me of the works of Lucio Fontana, in which the dimensional expansion occurred by tearing canvas apart. TSUGANE, as he said, represented in this work, the uncertainty and ambiguity of the borders between the “outside and inside,” as well as “reality and imaginary emptiness,” or, the state in which all things actually exist interconnecting with each other, though they look as if they exist independently. I would like to take notice of further developments of expressions of TSUGANE, who is aware of such issues in reality.
Rokuzan Art Museum Takei, Satoshi




「ケシキ」という言葉は非常に興味深い。古くから使われてきた言葉で「景色」と漢字を当てることもあれば、「気色」と漢字を当てることもあり、人の外側に広がる自然の様子を表す一方で、人の内側の心の動きに関わる言葉でもある。これはこの言葉を使ってきた人々が、自然界と人の内側の目に見えない世界との間にはっきりとした境界の意識をもっていなかったことが想像できる。さらに言うと、私は自然の世界と人の心に強いつながりを感じている。このような人の外と内の関係、自然と心の関係に思いを巡らすなかで感じた世界の在り様を、色鉛筆による平面的表現と、やきものを素材にした立体的表現の二つのアプローチでかたちにすることを試みた。
The Japanese word “Keshiki” is very interesting. It has been used since ancient times. Sometimes, it is expressed in two combinations of kanji 「:景色」and 「気色」. The first one expresses the state of nature that envelopes humans, the other one is related to the movements of the heart inside humans. I can imagine that the people who used the word “Keshiki” weren’t clearly conscious of the border between the natural world and the invisible world inside humans. Moreover, I feel a strong relationship between the natural world and the human mind. Here, I tried to visualize the state of world, which I felt while thinking about the relationship between the outside and the inside of humans and the relationship between nature and our minds, in two approaches: one is two- dimensional works with colored pencils, the other is three-dimensional ones, using only ceramics as material.