ARTISTS作家一覧
北澤 一伯KITAZAWA kazunori

略歴
| 1949 | 長野県伊那市生まれ |
|---|---|
| 1974 | 日本大学藝術学部美術学科彫刻コース卒業 |
| 1976 | 日本大学藝術学部芸術研究所修了 俳句誌『銀漢』同人 |
おもな作品発表歴
| 1974 | 「台座を失った後、台座のかわりを、何が、何故するのか」(日本大学藝術学部旧構内/東京都) |
|---|---|
| 1980−1996 | 農村地形と〈場所〉論をテーマにしたインスタレーション「囲繞地」を制作、発表 |
| 1994−2008 | 廃屋や旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって死んだ水うさぎ』を連作 |
| 1994−1999 | 「アートキャンプ白州」に参加(山梨県) |
| 1994 | 「立ち上がる境界展」(辰野町郷土美術館、旧日本通運事務所/辰野町) |
| 1996 | 「プサイ亀と死んだ水うさぎ『量子芸術について』」松澤宥とのコラボレーション(旧日本通運事務所/辰野町) |
| 2000− | 彫刻の手法による「脱構築 こころの容器」連作 |
| 2003− | 「NIPAF」参加「セルジ・ペイ頌歌」連作を発表 |
| 2006−2012 | 「くりかえし対立する世界で白い壁はくりかえしあらわれる 固有時と固有地」No1〜7(松代大本営地下壕/長野市) |
| 2008 | 約14年間かけた「残侠の家」制作を終了、「残侠の家つづき物語」の制作を開始 |
| 2009 | 「第1回所沢ビエンナーレ引込線」(埼玉県) |
| 2012 | 「池上晃事件補遺No5 刺客の風景」(伊那北高校薫ヶ丘会館/伊那市) |
| 2015 | 「Void house 何もない家」Nine Dragon Heads 企画〈Border Crossing〉に参加(韓国) |
| 2016 | 「段丘地 四徳 折草 平鈴」(アンフォルメル中川村美術館/中川村) |
| 2017 | 「光の筏」(FLATFILESLASH/長野市) |
| 2018 | 「場所の仕事 刺客の巻貝圖」(からこる坐/長野市)「Acción!MAD18」参加(スペイン) |
| 2019 | 「2019 DM ZInternational Art Politics-Project Border Crossing ONSAEMIRO」(Camp GREAVESDMZ/韓国)、「TAMAVIVANTII2019/ART・漂う場所として」(多摩美術大学アートテークギャラリー/東京都) |
| 現在 | 生家で体験した山林問題と土地事件から「場所の仕事」論を展開した「Reconquista(西語/失地回復)プロジェクト」を継続中 |
STATEMENTステートメント
再生の彫刻
北澤一伯は、大学闘争が退潮しはじめる頃、ロックアウト中の大学で彫刻の造形と彫刻論を学び、教授・柳原義達から、「彫刻とは論理学としての哲学」であり、「彫刻が立つことの美しさ」と教示を受けたという。
近代彫刻に通有の「台座」と「汎用性を持つ作品」をいぶかしみ、床や地山に直接作品を制作、設置するインスタレーションに共感する。どんな場所にどのように彫刻を置くかを再考し、「台座」後の台座概念と彫刻を追究。形態と場所を引き放ち、場所に伏す秘められた力と記憶を表白する。《台座を失った後、台座のかわりを、何が、するのか》《囲繞地》の連作へと進んだ。
人々の記憶に残る記念碑的な場所での北澤の行為による作品設置はサイト・スペシフィックながら、場所の記憶を自身の内面に共有する表現へ展開する。ナチス・ドイツの兵器工場だった場所、織田軍に抗って焼き討ちされた高遠町・弘妙寺、入植後中途で病死した山梨・白州町の酪農家の廃屋など、人々の記憶を揺さぶり、敗者の側からの再生を託す表現だった。
やがて、荒れ果てた場所や廃屋、古い建物の内部を自身の心の内部に見立てて解体し、作り直して、かけがえのない美術空間に変容させる《「丘」をめぐって》連作を展開。自らの苦悩を「丘」に見立て、「水の中を泳ぐ兎」のような思いで「丘」を越えるという制作には、傷を癒し、再生し、超克する志向が込められている。棺形の鉄製の箱に牛乳を満たして廃屋の床に置き、死が乳児の命として再誕するシリーズも続いた。それは、JR辰野駅前の1806番地が附された場所にある廃屋では、《1806》のタイトルで繰り返し設置され、インスタレーションの一回性を超えて「再生性」を提示した。再制作されるたびに「再生」の意図が強化され、顕れたという。また、安曇野市穂高の古い農家を借り、自身の心の容器として改造、変容させながら居住十数年におよび、制作の永続性への可能性を示した。
《弘妙寺プロジェクト》などで示した「敗者からの再生」は、2016年の《段丘地の台座》へと継続し、地勢と地誌に絡みながら、歴史上の事件とその場所を稗史(負けた者の歴史)の眼差しで捉える。土石流で壊滅した中川村四徳の集落や、鎌倉幕府滅亡に際して再起をうかがった北条時行の隠棲地を稗史の文脈で表現した。工業材料や建築木材、植物の種子、塩や古い書物、出土石器などさまざまな素材を制作に用い、表意と隠喩を含ませた物質として布置する。それは地誌に喩えて「物質誌」として定置したと言えよう。種子や羽根、鉄の断片や石が布置されたその「台座」は、汎用性を孕む素材が没場所性に抗い、記憶と言葉と物質が焦点を結ぶ場となる。
一方、極私的な土地の境界問題をめぐって、相手の粉飾された修辞の意図と毒を見抜き、《刺客の風景》として物質化し、「レコンキスタ(スペイン語:失地回復)」のシリーズとして繰り返し表現している。そこでは意識が常に研ぎ出され、繰り返し「壁」に立ち向かう。これらに合わせて手がけるパフォーマンスは、その方便として身振りを介入させ、提示する。乖離していた言葉と物質、それに場所が互いに受容し、変容して、自身の「生」が生き延びる物語が生成するという。
北澤は本展出品作家の松澤宥(1922−2006)とドイツの「社会彫刻家」ヨゼフ・ボイス(1921−1986)をリスペクトし、人間が生きるための術として美術を定置し、彫刻とは何かを問い直す。その表現は、美術史の流れのなかにすく位置付けようとする意志に掬い取られない際立つ独自性を持つ。北澤の手法と表現は、「純粋芸術」のボーダーを超えて、新たな領域に土壌を得て身を起こしているのだろう。
アンフォルメル中川村美術館 赤羽 義洋
Sculpture for Regeneration
KITAZAWA Kazunori studied the practice and theory of sculpture at university, then switched to site- specific expression. He produced his works by incorporating the memories of sites to his inner self. Then, he further developed them into a series of works by regarding the ruined places or old buildings as existing in his inner self, demolished or repaired, and finally transfigured them into artistic spaces. His production process, in which he named his agony the “hill” to get over, is a journey toward “life” by way of healing his wounds and reviving himself.
His installation work, which is presented as “Pedestal,” composed of a variety of materials, such as building materials and plant seeds, is “documents” of materials, incorporating metaphors and memories.
Expressions by KITAZAWA, who considers fine arts to be “the art of survival,” are unique enough to prevent them from being scooped up by “will” which attempts to place them in the context of art history.
INFORMEL NAKAGAWAMURA MUSEUM Akahane, Yoshihiro






七歩詩 曹植
煮豆持作羹 豆を煮て持って羹と作し
漉豉以爲汁 豉を漉して以て汁と爲す
萁在釜下燃 萁は釜の下に在りて燃え
豆在釜中泣 豆は釜の中に在りて泣く
本是同根生 本と是れ根を同じくして生じたるに
相煎何太急 相煎ること何ぞ太だ急なる
曹植(192〜232)は中国・魏の武将・曹操の子。これは、七歩進むうちに詩を作らねば殺すと兄・曹丕に脅されて作ったと伝わる詩。彼の作ではないとする説もあるが、私はこの詩から多くの示唆を得た。
そのひとつは、限界状況にありながら詩を作ることで困難な場面を切り開く、表現者としての危機突破の意志であろう。
七歩を歩む間に創作する。短時間で創造に関わり窮地を脱出し、生き延びていく。ダダ的即興を連想させる詩作の物語に、美術という芸術特有の威力の中核が光っている。私的な土地係争中に知った漢詩から、彫刻の布置と場所について、私は長いこと考えさせられてきた。
妙な言い方だが、悪の為し手の情念から受け取った打ち身の痣のようなものは、これからも消えることはないだろう。それゆえの「痣の場所」。
Poem within Seven Steps by Cao Zhi
People boil beans to cook soup
Filtering them to extract essence.
The beanstalks were burnt under the cauldron And the beans in the cauldron wailed:
“We were originally grown from the same roots;
Why should we hound each other to death with such impatience?”
Cao Zhi (192 – 232 A.D.) was a son of Cao Cao, the late king of Cao Wei, an ancient Chinese kingdom. It is said that he was asked to compose a poem within seven strides, or he would be executed by Cao Pi, his elder brother, and so he composed this poem. Though some say it’s not his poem, I got a lot of suggestions from it. One of them might be a strong will to break through the crisis as a poet, who got through the difficult situation by way of expressing himself in his poem, facing extreme conditions. Composing a poem within seven steps duration is equivalent to engaging in creating a work of art within a limited time to overcome the difficulty, and thereby survive. The story of composing a poem, reminiscent of the Dadaistic improvisation, is also true when creating art, which conveys the essence of power, characteristic of fine art.I was inspired by this ancient Chinese poem when I was confronting very personal land disputes, which made me ponder over the sculpture installation spaces and sites at length. It’s a strange way of saying, however, that the bruise, or something like that, which I received from the ill-conceived emotions of the evil person, will not disappear forever.Hence, “The Place of the Bruise.”