ARTISTS作家一覧
下平千夏SHIMODAIRA Chinatsu

略歴
1983 | 長野県岡谷市生まれ |
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1985 | 家族でシンガポールへ転宅 |
1990 | 帰国 |
2007 | 武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業 |
2 010 | 東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻修了 |
主な作品発表歴
2010 | 「Implosion point」(INAXギャラリー2/東京都) |
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2011 | 「TAMAVIVANTII」(多摩美術大学・パルテノン多摩/ 東京都) |
2012 | 「Tokyo Midtown Award 2012」(Tokyo Midtown /東京都) |
2014 | 「nex:t信州新世代のアーティスト展」(長野県信濃美術 館/長野市)、「二国間交流事業プログラム(派遣)」(宝 蔵巌国際芸術村/台北) |
2015 | 「善光寺門前プロジェクト2015」(ぱてぃお大門蔵 楽庭/長野市)、「TOKYO STORY」(トーキョーワン ダーサイト本郷/東京都)、「カナリア(舞台)」(NEON HALL /長野市) |
2016 | 「エーテル」(犬島家プロジェクト/岡山県) 、「高遠今昔物語」(信州高遠美術館/伊那市) 、「熱海混流文化祭」(熱海/静岡県) |
2017 | 「クロージング ネオヴィジョン−新たな広がり」(長野 県信濃美術館/長野市) |
2019 | 「瀬戸内国際芸術祭」(犬島家プロジェクト/岡山県) |
2020 | 「CIAO!2 0 2 0(」大分市美術館/大分県)「、Regain! Oita Art Series」(丹賀砲台園地/大分県) |
2025 | 「モネ船長と大雪原の航海」(越後妻有里山現代美術館 MonET /新潟県) |
おもな受賞歴
2007 | 武蔵野美術大学卒業修了展 2006年度学校賞受賞 |
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2010 | 六甲ミーツ・アート2010 入選 |
2012 | Tokyo Midtown Award 2012 入選 |
STATEMENTステートメント
建築あるいは「境界」をめぐって
豪雪地帯の新潟県十日町市で2025年1月25日、雪に覆われた越後妻有里山現代美術館MonETの正方形の池を囲む回廊で下平千夏は家族とともに出品作品《光と水と、…》の仕上げ作業を行っていた。回廊の床近くに水を湛えた大きな鉄製の水盤が浮かび、高さ10mほどの天井3ヵ所に設置された三角形のフレームから数百本の糸が椀を支持する3点にそれぞれ収束している。細い糸が集まって重量物を水平に持ち上げている力の均衡と力が可視化されたような美しい表現に見入った。美術館のさまざまな場所から作品を望めるが、黄色の糸が光を強調し、重なりがモアレを生むことでその表情は視線の移動とともに変化する。聞けば細い糸は水糸だという。水糸は建築において水平性を正確に保つための重要な基準線を提供するが、建築への意識を感じさせつつもその性質は転用されている。
下平の作品には建築を学んだことが大きく影響している。空間のスケールの把握と素材の選定、緻密に計算された構成あるいは合理性が空間と人との関係性のうえに考慮されている点は、インスタレーションを表現方法にするほかの作家との差異といえよう。
下平は建築家を目指し武蔵野美術大学造形学部建築学科に学び、在学中、「目的を全うする建築空間や概念の設計よりも、体験から生じる空間の認識変化や解釈の可能性、また空間が場所化していく過程に興味を持ち、とくに〝建築〟では表出できない表現方法に傾倒」し、卒業後は東京藝術大学大学院先端芸術表現専攻に進むが、建築から美術への転向ではなく、建築と美術の関係性の再考と捉えられよう。それは、2017年の長野県信濃美術館最後の展覧会で語った「例えば建築とは、身体の拡張であるとも考えられます。(中略)私が生み出す作品は、身体が原初的に持つ感覚と、人が作り出す事物との間に生じる関係性についてのひとつの理解であると考えます」※1という言葉にも現れている。
下平は2019年大分県に居を移す。大分県は建築家・磯崎新の出生地であり、建築を学んだ下平がその存在を強く意識したことは想像に難くない。同年には大分市美術館で開催された「磯崎新の謎」展で、廃墟と生成は循環するがゆえに、廃墟と未来は共存しているという都市計画思想を作品化した「孵化過程」を観ている。そこから得たインスピレーションをもとに2020年、「孵化過程」へのオマージュとして作品《TRACE#004》(p.〇)を制作した。選んだ場所は大分県佐伯市の太平洋戦争開戦直後に事故で爆破し多くの犠牲者を出した丹賀砲台で、直径10 m、深さ12.8mの砲塔井という巨大な廃墟に全長7000 m 500本の水糸で培養される都市のはじまり、大地から噴出するエネルギーのイメージが表現された。それは、建築思想へのオマージュという新たな試みでもあった。
建築はさまざまな次元の「境界」を扱う。下平は、2014年のステートメントで「境界は、2つ以上の事物が同時に存在したときに、それらが均衡に隣合わせるために生じている見えない間であります。しかし、私が取り組んでいる境界とは、単に事物を線引きする境界ではなく、あることからあることへ物事がゆっくり変化・移行していく中でどちらとも捉えられない状態にある曖昧なものです。」と境界について考察している。また、マルセル・デュシャンの「アンフラマンス」を東野芳明が建築にたとえて言った「柱というのは横に長く伸ばしていったらいつか壁になる。逆に壁がどんどん狭くなっていったらいつか柱になる、そこの境目は一体どこにあるのか」に共感をもって自身の考察を重ねている。このように「境界」は下平の作品制作の重要な概念であるが、遡れば、建築学科の設計課題でホスピス(終末期医療施設)をテーマに据え、敷地を開かれた公園に設定し、公園を訪れた人と患者が当たり前のように隣り合わせる建築の提案にその起点をみることができよう。それは死と生の境界であり、起点でありながらこれから到達するひとつの領域なのかもしれない。
下平は二児の母として、制作と子育てを両立させる不安を抱え模索している最中だが、同じような状況下で窮するアーティストがいるかもしれないという思いから、制作活動を通してひとつの生き方を示していければと考えている。本展も家族とともに行う滞在制作が予定されている。冒頭の作品《光と水と、…》の水を湛えた水盤には方位磁針が浮かんでいた。「(羅針盤は)進むべき方角を揺るぎなく指し示してくれる、そんなものがあれば、それは一つの希望となり、果てのない遠い夢であっても疑いなく漕ぎ出せるはず」※2。下平はそんな強い意志で制作に臨むだろう。学生の頃、スイスのヴィトラ・キャンパスで不意に出会った安藤忠雄設計の「セミナーハウス」に胸が熱くなったという。同じ設計者の小海町高原美術館でどのような空間が現出するのか、さらに、さまざまな場所でサイトスペシフィックな作品を発表してきた下平のオルタナティヴスペースでの作品も期待したい。
- 1 『長野県信濃美術館クロージング ネオビジョン 新たな広がり展図録 7人の若手作家』
(2017、長野県信濃美術館) - 2 《光と水と、…》下平による作品解説
(2025、越後妻有里山現代美術館 MonET)
小海町高原美術館 中嶋 実
20数年前、自分が何者かもわからない建築学生の時に行った初めての海外一人旅でのこと。家具ブランドのVitra社が集めた当時の世界的有名建築家作品群のなかに、予期せず安藤忠雄先生の海外初期作品に出会い、人知れず感激したことがありました。見慣れたはずの安藤先生の明らかにほかと色彩を異にした作品に、勝手に誇らしい気持ちを感じながら、しっとりと冷たいコンクリートの線が描く美しい空間に見入りました。その胸が熱くなる感覚は、忘れられません。
人が生を受けて初めて出会う最初の空間は、母親の子宮のなかで形成される胎嚢(たいのう)という部屋。その時から人は外界から空間によって守られ、空間によって外界と接続し生かされていきます。空間を内包する建築とは、外界と対峙して生きる人間にとっての身体の絶対的拡張のひとつの結果であり、芸術とは身体の拡張という欲求に向かう実験的行為の連続であると私は考えます。外界と胎児とを繋ぎ、生を紡ぐ臍帯(へその緒)のように、自分の表現する作品は、場と身体をつなぎ・つむぐ媒体でありたいです。
More than 20 years ago, when I majored in architecture as a university student, and didn’t know who I was, yet, I took my first solo trip abroad. During the trip, I unexpectedly encountered Tadao Ando’s architecture, one of his early works exhibited overseas, which was among a series of works of world-famous architects at that time collected by the Vitra Co., Ltd., and I was secretly impressed by it.
I looked into the beautiful architectural space created by the moist and cold concrete, feeling arbitrarily proud of Ando’s work which was apparently different in tone from others, though his works should have been familiar to me. I will never forget the heart- warming feeling I experienced at that moment.
The first space where human encounters after being given life, is a room called a gestational sac formed in his(her) mother’s womb. Humans are protected from the outside world by space, and are connected to the outside world by that space, in order to live. I think an architecture that encompasses space in it is a result of absolute expansion of the body for humans who live in confrontation with the outside world. In the same way, art is a series of experimental acts towards the expansion of the body. That is humans’ desire. I wish the works I create would be a medium that connects space with the human body, and weave them, like an umbilical cord that connects the outside world with the fetus, and weave life as such.