ARTISTS作家一覧
藤森 照信FUJIMORI Terunobu

略歴
| 1946 | 長野県茅野市宮川高部生まれ |
|---|---|
| 1965 | 長野県諏訪清陵高等学校卒業 |
| 1971 | 東北大学工学部建築学科卒業後、東京大学大学院に入学 |
| 1978 | 東京大学大学院建築学専攻博士課程満期退学 |
| 1982−2010 | 東京大学生産研究所専任講師、以後、助教授、教授 |
| 1986 | 赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を結成 |
| 2010−2014 | 工学院大学教授 |
| 2016 | 東京都江戸東京博物館館長 |
おもな作品発表歴
| 1991 | 「神長官守矢史料館」(茅野市) |
|---|---|
| 1995 | 「タンポポハウス」(東京都) |
| 1997 | 「ニラハウス」(東京都) |
| 2000 | 「熊本県立農業大学校学生寮」(熊本県) |
| 2004 | 「高過庵」(茅野市) |
| 2006 | 「誰も知らない日本の建築と都市:第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展|日本館」(イタリア) |
| 2007 | 「藤森建築と路上観察」(東京オペラシティアートギャラリー/東京都)「焼杉ハウス」(長野市) |
| 2008 | 「藤森照信建築展」(小海町高原美術館/小海町) |
| 2010 | 「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」(茅野市美術館/茅野市)、市民とのワークショップにより「空飛ぶ泥舟」を制作 |
| 2012 | 「Terunobu Fujimori: Architect」(ヴィラ・シュトゥック/ドイツ) |
| 2015 | 「草屋根」(滋賀県) |
| 2016 | 「モザイクタイルミュージアム」(岐阜県) |
| 2017 | 「低過庵」(茅野市)、「藤森照信展 自然を生かした建築と路上観察」(水戸芸術館現代美術センター/茨城県) |
| 2020 | 「高部公民館」着工(茅野市、21年度竣工予定) |
おもな受賞歴
| 1981 | 日本都市計画学会論文奨励賞(論文) |
|---|---|
| 1983 | 第37回毎日出版文化賞(書籍) |
| 1986 | サントリー学芸賞(書籍) |
| 1997 | 第29回日本芸術大賞(建築) |
| 1998 | 日本建築学会賞(論文) |
| 2000 | 日本建築学会賞(建築) |
| 2002 | 第1回毎日書評賞(書籍) |
| 2020 | 日本芸術院賞(建築) |
STATEMENTステートメント
建築家・藤森照信はどのようにして生まれたか
藤森照信は、1946年、長野県諏訪郡宮川村高部(現茅野市宮川高部)に生まれた。宮川村高部は約70世帯ほどの農村で、江戸時代は諏訪大社の神領であった。高部には諏訪大社上社筆頭神官だった神長官守矢家があり、その77代当主守矢真幸氏が照信の名付け親となった。守矢家は筆頭神官として多くの文書を残し、また上社の神事の秘事を伝え、諏訪地域で古くから祀られていたミシャグジという神(精霊)を扱うことができる唯一の存在とされた。藤森が育ったのは、自然信仰の流れをくむといわれる諏訪大社のある諏訪地域、さらにそのなかでも守矢家のある村であった。藤森は「そういう場所で育ってきた自分にとっての信仰は、やはり自然信仰だと思います」※1、また「神様の村で育った」※2とも語っている。藤森の生まれ育った家は幕末に建てられた茅葺き屋根の木造家屋で、電燈や簡易水道はあったものの、藤森は「村の日常は江戸時代と大差なかった」という。藤森は生まれ育った家や村で心に残るものとして、家の土間や梁のスス、村のなかでみた石垣や土塗りの物置、土壁の雨避けに張られた薄い木の板などを挙げている※3。藤森はものをつくることについて「その人が「見てきたもの」と深いつながりがある」※3と語っているが、子どものころに触れた素材や感じたものは、藤森の設計につながる感性に影響を与えたのであろう。その実家は、藤森が小学校2年生のときに建て替えられた。設計は早稲田大学建築学科に通っていた従兄が、工事は母の実家(上諏訪の工務店)の弟子たちが担当した。建て替え作業は、約1年間続き、棟梁の指示で片付けや雑用を手伝うなかで、その過程を体感し、資材に直に触れる体験もした。この経験は、藤森にとって後々の大きな財産になったという。藤森は、高校卒業まで茅野市で過ごし、ものづくりと芸術的な要素に魅力を感じ建築学科を選び東北大学に進学。在学中、近代建築史を志し、東京大学大学院に進学する。そして、近代建築史・都市史研究の第一人者として多くの業績を残した。また、東京大学生産技術研究所で教鞭をとり、現在は同大学名誉教授を務めている。建築家としてのデビューは44歳の時、生まれ育った茅野市宮川高部に建つ神長官守矢史料館(1991年)の設計であった。
守矢家が持つ貴重な古文書を収蔵・展示する史料館を茅野市で建設する話が持ち上がった際、守矢家78代当主・守矢早苗氏は幼馴染の藤森に相談をすることにした。相談を受けた藤森は、この土地にふさわしい建築をつくることができる建築家が思い当たらず、「この土地の歴史や風土をより理解してつくらなければ、神様に失礼にあたる。(中略)ならば自分で設計するしかない」※1と考え、設計にとりかかる。文化財を保存する現代建築のため、耐震耐火は必須の条件であった。デザインは当初民家風のデザインを考えていたが、長い歴史を持つ守矢家の建築に、歴史の浅い民家形式は合わないと感じ苦悩する。しかし建築家・吉阪隆正(1917-80)によって戦前に書かれた、中国東北部の草原で見た小さな泥づくりの家についての文章に出会い、自身の求めているものだと感じ、デザインのイメージは広がっていった。また、吉阪の文章について藤森は「ものをつくるときは余計なことを考えるな、世間の目とかまわりの評価とか、そういうのはチャラにしてやりなさい、っていうふうに読めた」※1とし、素直に自身の感性で設計に向き合った。設計では「構造や設備は現代の科学技術でつくり、外側の仕上げに自然材料を使う」ことを試みる。鉄筋コンクリートの構造体をつくり、屋根は鉄平石や天然スレート(天然の石を用いた板状の屋根材)、壁は土色に染めたモルタルと土、壁の一部をさわらの手割り板などで仕上げた。以降、この自然と建築の関係は、藤森が設計をするときの最大のテーマとなっていく。神長官守矢史料館について藤森は「現代建築をどうこうしようというより自分の生まれ育った場所の問題を解こうと思って始まり(中略)まわりの環境と守矢家の信仰を壊さないことが目的」※1だったとし、設計への考えを「守矢家の信仰は、農耕以前のもの、つまり縄文時代。それは結局、存在だけあるという感じ。石があります、木があります、土があります。だけど、固有の形がない。それで何となくこういうものをつくった」※4と語っている。環境への配慮と、守矢家の信仰の歴史を汲み取り「存在だけある」ものを意識し設計したのである。そのデザインや思想は、藤森の歩みのなかでさまざまな「見てきたもの」が熟成し生み出されたものであり、その内なるものの原点には、村で育まれた自然信仰や、その生活で培った感覚や経験があるといえよう。そして、藤森照信と神長官守矢史料館の設計との出会いが、藤森の内なるものを表出させ、建築家・藤森照信を生み出すのである。神長官守矢史料館には、藤森が縄文時代から着想を得た「存在だけある」ものへの意識、そして自然信仰を踏まえた藤森の内なるものが色濃く込められている。これらが、現代建築のなかでも唯一無二の存在である藤森照信と、その建築が意味するものの原点であると考える。
- 1 藤森照信『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』(平凡社、2020年)
- 2 筆者によるインタビューより(2010年1月4日)
- 3 「回想・藤森好みの50選」(『NA建築家シリーズ04 藤森照信』、日経アーキテクチュア編、日経BP社、2011年)
- 4 伊東豊雄×藤森照信トークセッション「諏訪の記憶、21世紀の建築」(2010年8月22日、茅野市民館マルチホール、茅野市美術館企画展「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」関連企画)
茅野市美術館 前田 忠史
What was the driving force behind FUJIMORI Terunobu becoming an architect?
The Jinchokan Moriya Historical Museum was designed by FUJIMORI Terunobu, with his idea of the things that “only exist as they are,” in mind, considering the environment of the place where he was born and grew up, along with his deep understanding of the history of the religious faith of the Jinchokan Moriyas family, the head of whom had been the leading Shinto priest of the Suwa Great Shrine “Upper” for generations. FUJIMORI’s design and concept behind the museum were created by way of “ripening” a variety of “What Fujimori observed,” following in his footsteps. Moreover, it can be said that the basics of his inner self originated not only from the worship of nature nurtured in the village where he was born and grew up, but also from his feelings and experiences cultivated in his everyday life there. Consequently, FUJIMORI’s encounter with the opportunity to design the Jinchokan Moriya Historical Museum enabled him to exhibit the inner self of FUJIMORI Terunobu, which, as a result, brought FUJIMORI Terunobu to be an architect.
Chino City Museum of Art Maeda, Tadafumi












物資の、正確には建物に使用できる材料の究極は何か、にずっと関心を持ってきた。近代の鉄、コンクリート、ガラスからそれ以前の石、土、草などなどを含めて何が究極の建材なのか。
あれこれ考え、実際に使うことを続けるなかで、2つに行きつく。
〝土〟と〝炭〟
自然界はむろん人工物でも、すべての物資は炭素を含まない無機物と炭素を含む有機物に二分され、前者は長い年月の間に崩れ、砕かれ、磨られて〝土〟に帰る。後者は、火に当たると燃えて〝炭〟となる。炭の建材は古今東西を探しても、日本の〝焼杉〟以外に見当たらない。その焼杉を作り、使って簡単な場というか空間を作り、そのなかで映像を上映し、周囲の壁にパネルを展示したい。
I have been interested in what the ultimate materials are, to be accurate, materials that can be used for constructing buildings. What are the ultimate building materials including not only materials of modern times such as steel, concrete and glass, but also those of previous times such as stone, earth and grass?
Tossing my thoughts around, while continuing to use each of the materials practically, I finally came upon two answers: “earth” and “charcoal”.
The elements composing the natural world, including even artificial materials, are categorized into two groups: inorganic material without carbon, and organic material containing carbon. The former is crumbled, crushed and finally returned to the earth. The latter, when kindled, burns and finally becomes charcoal over time. Even if you look around the world, you won’t find any building materials made of charcoal, except for “Yakisugi,” which is charred wood made of Japanese cedar.
I would like to make Yakisugi by myself, then, build a kind of simple site, or a space utilizing the Yakisugi I made, where I can show videos and exhibit panels on the walls.