SHINBISM | シンビズム | 信州ミュージアム・ネットワークが選んだ作家たち

ARTISTS

  • 《御射山奥社密儀》1970年
  • 《誕生》《沼》1949年(『詩学』1951年2月号)
  • 《Symbol Poem No.10》1954年
  • 題名不詳 制作年不詳
  • 《日本建国史》1961年
  • 《〈プサイの死体遺体〉に就いて》1964年
  • 《この一枚の白き和紙の中に(白鳥の歌)》1976年
  • 《80年問題22番》2002年
  • 《80年問題22番》2002年
  • 《80年問題22番》2002年

松澤 宥MATSUZAWA Yutaka

観念美術
松澤 宥
日本語
ENGLISH

一九六四年六月一日の深夜、私は、私が生れたと聞かされている裏座敷で眠っていたのですが、突然、〝オブジェを消せ〟という声を聞きました。真暗闇の中で枕もとの本のやたらに開いた頁の上に、手さぐりで〝オブジェを消せ〟と書きとめておきました。忘れない為でした。朝めざめましたが勿論忘れなどはしません。余りに強い鮮やかな啓示であったからです。〝オブジェを消せ〟とはどういう意味なのか、私には寸分の疑いもなく明白だったのです。(中略)私の作品はオブジェと文章の双方で成り立っていました。オブジェに自作自註の形で私の考え方を書きそえて展覧会に出しておりました。〝オブジェを消せ〟とはそのオブジェの方を棄てて文章だけにせよ、つまり作品を成りたたせている思想だけにせよ、意味だけにせよ、観念だけにせよ、ということなのです。そこで三日三晩徹底的に考え抜きました。(中略)

決意しました。私は、これだと。現代文明に対する全否定の方法論、アンチテーゼはこれだと。一九六四年六月四日でした。

松澤宥「オブジェを消せ」より抜粋[「ディスクールNo.2」(1980.7.8AM6:15-6:30、NHKラジオ第一放送)、『松澤宥 Ψの函』(造形社、1983年)]

When I was sleeping in the Urazashiki, or the back parlor of my old house where, I was told, I was born, suddenly, at midnight on June 1, 1964, I heard a voice, saying “Vanish matter.” In the sheer darkness, I haphazardly opened the book set at the side of my futon mat, and wrote down the words “Vanish matter,” so as not to forget it. The next morning, when I got up, of course, I found I hadn’t forgotten it, because it was an extremely strong and vivid revelation for me. What the words of “Vanish matter” meant was quite clear and left me with no doubt. (Text partly omitted) My works consisted of both objects and language. At my exhibitions, I used to display my objects together with my original comments describing my way of thinking. To “Vanish matter” means to leave only language, discarding all objects, that is, to leave only thoughts, meanings or concepts, which form your works. I pondered over it for three days and nights thoroughly. (Text partly omitted)

Then, I decided. That’s it. The methodology of complete denial, or, even the antithesis of contemporary civilization. It was June 4,1964.

References:MATSUZAWA Yutaka “Vanish Matter” (Discourse No.2, 1980.7.8, 6:15-30 A.M. (NHK Radio 1)), “Yutaka Matsuzawa ΨBox” ZOKEISHA Publishing Co.Ltd, 1983)

略歴

1922 諏訪郡下諏訪町生まれ(2月2日午前2時)
1941 四季派の文学に傾倒。この頃、詩作をはじめる
1946 早稲田大学理工学部建築学科卒業
建築事務所勤務を経て、1948年に帰郷
1949-84 諏訪実業高等学校定時制下諏訪分校で数学を教える
1955 フルブライト交換教授として渡米。ウィスコンシン州立大学から翌年コロンビア大学大学院に移り、現代美術、宗教哲学を学ぶ
1964 6月1日「オブジェを消せ」との啓示を受け、絵画やオブジェなどの制作から、文字や記号、言葉や行為で表現する観念美術へ移行
1970 美学校(東京)にて「美術演習」を担当
1973 美学校・諏訪分校にて「最終美術思考」開講
1979 観念美術の創始を評価されアカデミア・ティベリーナ(ローマ)の永久会員に推挙
1992 『量子芸術宣言』(岡崎球子画廊)刊
2006 逝去(84歳)

おもな作品発表歴

1952 「第4回読売アンデパンダン展」(東京都美術館/東京都)以降63年まで8回出品
1963 「ψによる松澤宥個展」(青木画廊/東京都)
1967-68,70-71 ハガキ絵画発信(1次・2次各12回)
1969 「美術という幻想の終焉展」(長野県信濃美術館/長野市)
1970 「ニルヴァーナ−最終美術のために−」(京都市美術館/京都府)
1971 「音会」(泉水入“瞑想台”/下諏訪町)
1972 「カタストロフィーアート・フロム・ザ・イースト展」(サン・フェデーレ画廊/イタリア)
1976 「ヴェネツィア・ビエンナーレ〈現代芸術の動向〉部門」(ヴェネツィア/イタリア)
1977 「サンパウロ・ビエンナーレ〈カタストロフィー・アート〉部門」(サンパウロ/ブラジル、サンパウロ・ビエンナーレ賞受賞)
1988 「量子芸術宣言一」(岡崎球子画廊/東京都)
1994 「ミメントゥ・モーライ 死を念え」(山口県立美術館/山口県)
1995 「第15回オマージュ滝口修造展 松澤宥」(佐谷画廊/東京都)
1997 「スピリチュアリズムへ・松澤宥1954-1997」(斎藤記念川口現代美術館/埼玉県)
2019 「荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち」展(ジャパン・ソサエティー/ニューヨーク)

STATEMENTステートメント

日本語
ENGLISH

松澤宥とは、松澤宥の作品とは、

観念美術(概念芸術/コンセプチュアル・アート)の創始者と呼ばれる松澤宥は、1922年2月2日午前2時、長野県下諏訪町に生まれた。大学で建築を学び就職するが、卒業の2年後に建築事務所を辞し帰郷する。建築を学んでいた頃から、詩作にも力を注いでいた。世界中の人が分かるような詩をつくりたいという思いは記号詩を生み、そこから絵画や、オブジェの制作につながった。戦後前衛美術の象徴ともいえる読売アンデパンダン展などの美術展への出品を重ねた。55年から2年間フルブライト交換教授として渡米し「言語による美術」の萌芽の時期を過ごす。「絵画の非物質化」への道を歩む決心をしたのは64年6月1日深夜、42歳の時、「オブジェを消せ」という声を聞いたことによる。

考え抜いたうえ、その3日後の6月4日、これまでのオブジェと文章による表現を捨て、文章のみの表現を決意する。

1966年の「現代美術の祭典」(堺市体育館/大阪)で発表された「人類よ消滅しよう 行こう行こう」と大きく墨書した《消滅の幟》は代表的な作品であるとともに、実体を「消滅」へと導こうとするメッセージとして、これからの美術が向かうべき方向に対する予言として、強く発信された。67年以降に2度にわたり各地へと郵送された「ハガキ絵画」は、メールアート(郵便芸術)のネットワーク力を利用し、受取人との相互交換による言葉(概念)の交流を図ったとされる。そして、その追求の過程において「量子芸術」や「80年問題」のような例も提示されてきた。「量子芸術」は88年、90年、92年と小冊子や書籍として刊行され、各出版物とリンクした展覧会が開催された。「80年問題」は、宇宙や自然環境について記された新聞記事を抜粋、文字として書き起こした方眼紙9枚を密教のマンダラの法則で並べ、80年以内に起こるとされた人類滅亡を示唆した。

『量子芸術宣言』※1における松澤の宣言文に「この芸術は人間の感覚に直接訴えることは出来ない。直接見たり、直接触れたりすることは出来ない」というものがある。これは「量子芸術」に限ったことではない。物質性が極限までそぎ落とされた視覚伝達手段としての文字や記号表現を使って、事象を認識させるというシンプルな構成であり、観念美術作品の姿、あり方を伝えているように感じられる。そして宣言文は「この芸術は人間の知力によってのみ、即ち判断、推理、観念合成などの思惟作用によってのみ認知、把握し得る」と続く。「量子芸術」では物理学や数学の概念が組み込まれ、他分野の高度な言語記号が登場するため、文字としての共通理解はいうにおよばず、通常言語による伝達の域を超えてしまったようにすら感じられる。そしてまた、《この一枚の白き和紙の中に(白鳥の歌)》のように極めてシンプルな形態を持ち、詩的な感覚を持ったメッセージとして受け止めやすく、想像力をかき立たせるものも存在する。後年には朗読パフォーマンスがたびたび開催され、松澤自身の生の声を介して鑑賞者に直接的なイメージが渡されていく作品もある。

63年の展覧会「Ψによる松澤宥個展」に寄せた美術評論家・瀧口修造の言葉※2に、「絵はもはや虚の存在であることを、松澤宥は思索し、計量し、証明しようとする」とある。そして、最後にいみじくも「もう私などの多言を要しない」とさえ述べる。個々の作品に付与される作家からの指示や誘導に導かれ、受け手は考察、理解、解釈、想像、影響と過程はさまざまであるが、眼で観ることができない作品のヴィジョンを脳内に浮かび上がらせることができる。この実体のない〝絵画〟は、メッセージを受けとめた個人の脳のなかだけに存在するものであり、美術作品としての展示方法、評価、価値について「多言を要しない」のである。

第二次大戦後、「反芸術」「物質主義」「アクション」「ハプニング」と、アヴァンギャルド(前衛)の運動が各地で展開された。これらは常に最新の美術のメタモルフォーゼ(変化・変容)として受容されてきたといえるが、「消滅(カタストロフィー)」へと導いた唯一の芸術が観念美術なのだ。松澤は、それまで「美術」と呼ばれてきたものを消滅させた。作家の思い描いたイメージはもはや物質を介することなく受け手の意識のなかに存在することが可能になったのである。視覚や触覚に頼らず、知力で受けとめ、意識でとらえる〝絵画〟が誕生した。それは単なる個々の空想の産物ではない。作家とのコミュニケーションにより導かれ、すべての人がアクセスすることが可能な意識領域(精神世界)において、初めて松澤の〝絵画〟がその姿を現す。

仏教用語で「ニルヴァーナ(涅槃)」という言葉があり、輪廻から解放された状態という意味と理解してよいと思うが、松澤のいう「ニルヴァーナ」は芸術が物質や実体から解き放たれた先の領域のことなのだろう。それぞれの作品が「消滅」と「ニルヴァーナ」へと誘う装置としての役割を持つのだ。

  • 1 『量子芸術宣言』(岡崎球子画廊、1992年2月22日)
  • 2 『Ψによる松澤宥個展』(青木画廊、1963年)

山ノ内町立志賀高原ロマン美術館 鈴木 一史

What Kind of Person is MATSUZAWA Yutaka? What is the Meaning of His Work?

In 1964, MATSUZAWA Yutaka, who had received a revelation to “vanish matter” at midnight, discarded his artistic visual expression and materiality in his works, and began pursuing the road to “dematerialization of work of art = vanishment,” using only letters and symbols in his expression. In addition, his message, “Humans, Let’s Vanish, Let’s Go, Gate, Gate,” which was written in his work, “Banner of Vanishing” (1966) was strongly sent as a prophecy for which the fine arts should proceed from that point on. His own style, representing the conceptual world which was perceived in his mind and captured with his consciousness, was created anew. MATSUZAWA’s works and performances might be seen as a device to make viewers look at the world, and invite them to the world of conceptual art.

Shiga Kogen Roman Museum Suzuki, Kazufumi

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