彫刻のこと、宇宙のこと、人柄のこと
YONEBAYASHI YUICHI
彫刻
米林 雄一
YONEBAYASHI YUICHI
彫刻
社団法人日本美術家連盟常任理事
社団法人二紀会理事
日本建築美術工芸協会理事
社団法人二紀会理事
日本建築美術工芸協会理事
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彫刻を作るのは楽しい。だが、集中した時間と気持ちを持つまでがソワソワ、ドキドキ、フラフラと、落ち着かない。
なにか、きっかけをつかむまで、作家はいろいろと悩む。私の場合、風景のなかで遠景の形や、風や雲、光や水面が、ときには私の相手をしてくれる。作家は制作に入ることで、人間の精神的な、心や、思いを、物質つまり木材や石材のなかに込め、宿らせようとする。作品は実体のある物質だ。それが置かれた場でその空間に働きかける。彫刻はその時間と、空間のなかで観るものに語りかける。
なにか、きっかけをつかむまで、作家はいろいろと悩む。私の場合、風景のなかで遠景の形や、風や雲、光や水面が、ときには私の相手をしてくれる。作家は制作に入ることで、人間の精神的な、心や、思いを、物質つまり木材や石材のなかに込め、宿らせようとする。作品は実体のある物質だ。それが置かれた場でその空間に働きかける。彫刻はその時間と、空間のなかで観るものに語りかける。
Creating sculpture is fun. However, until I become concentrated in my work both physically and mentally, unsteadiness, nervousness and restlessness envelope my mind.
Artists suffer in various ways until they seize the moment for their artistic creation. In my case, the shapes of the background of landscapes, the winds and clouds, light and water in nature, sometimes become my creative partners. When artists engage themselves in their works, they try to give shape to their spirits and feelings using such materials as wood and stone. Artwork is a matter with substance. It works on the space where it is displayed. Sculptures talk to viewers in their own unique time and space.
Artists suffer in various ways until they seize the moment for their artistic creation. In my case, the shapes of the background of landscapes, the winds and clouds, light and water in nature, sometimes become my creative partners. When artists engage themselves in their works, they try to give shape to their spirits and feelings using such materials as wood and stone. Artwork is a matter with substance. It works on the space where it is displayed. Sculptures talk to viewers in their own unique time and space.
主な経歴
Career
- 1942
- 東京都生まれ
- 1945
- 富山県小杉町(現射水市)に疎開
- 1960
- 富山県立高岡工芸高校図案科卒業
- 1964
- 金沢美術工芸大学彫刻科卒業
- 1966
- 東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
- 1968
- チェコスロバキア国際彫刻シンポジウム招待
- 1980
- 東京藝術大学美術学部彫刻科講師
- 1985・1986
- 文部省在外研究員としてイギリスに滞在
- 1988
- 東京藝術大学美術学部彫刻科助教授
- 1994−1996
- 日航財団派遣芸術家研修員として南北アメリカ、ヨーロッパなどを訪問
- 1996
- 東京藝術大学美術学部彫刻科教授
- 2009
- 東京藝術大学名誉教授
- 2009−2018
- 長野県小布施町に「アトリエ・ナチュラル彫刻ギャラリー」オープン
主な受賞歴
Award
- 1979
- 第14回現代日本美術展 東京国立近代美術館賞受賞
- 1981
- 第35回記念二紀展文部大臣賞受賞
第15回現代日本美術展いわき市立美術館建設準備室賞受賞
- 1983
- 第16回現代日本美術展千葉県立美術館賞受賞
- 1987
- 第13回平櫛田中賞受賞
主な作品発表歴
Release
- 1979
- 第14回現代日本美術展(巡回展)
- 2000
- 個展「[微空]へのアプローチ−米林雄一展」(富山県立近代美術館/富山県)
- 2008
- 個展「米林雄一退任記念展〜微空からの波動〜」(東京藝術大学大学美術館/東京都)
- 2011
- 個展「米林雄一展〜宇宙につながる彫刻〜」(おぶせミュージアム・中島千波館/小布施町)
- 2018
- 個展「米林雄一展−宇宙への眼差し−」(飯山市美術館/飯山市)
情報
Information
Event 2019/10/13 (日)
終了しました【イベント中止】米林 雄一、学芸員によるギャラリートーク
【台風19号の影響により、このイベントは中止となりました。】
13:30~
安曇野髙橋節郎記念美術館内 旧高橋家住宅主屋 及び 南の蔵
News 2019/09/20 (金) 更新
[中信会場] 安曇野髙橋節郎記念美術館 旧高橋家住宅主屋・南の蔵と出展作家情報を更新しました。
彫刻のこと、宇宙のこと、人柄のこと
学芸員の解説
米林雄一の彫刻は、どれもずっと眺めていたい心地よさが感じられる。
作品には直線や曲線が多用され、混ざり合いながらもバランスがいい。数学のグラフや数式が美しいように、米林雄一の彫刻にもそれが意識的に使われているのではないか。しかし本人は、「線などは自然界の方が数学より先にあって、それを結果的に数学として解明してくれている。たとえば種の黄金比『フィボナッチ数列』というものがある」と、アトリエにある枯れたひまわりを見ていった。
米林の彫刻作品は、セメントからはじまり、真鍮などの金属作品を経て、木彫作品へと移り変わっていく。木彫作品は、木に鉛筆の粉を塗っているため一見すると金属にも見える。重厚感のある作品は、表面に虫が這った痕跡のような模様が表面に施されているものもあったり、三角や四角の組み合わせであったりする。まるで、パズルのようだ。抽象的な作品を観ていて時折感じる「わからない」とかもやもやしたような感覚は出てこない。「迫力がある」「整っていて美しい」「圧巻」という言葉が先に出てくるのだ。
米林は1942年に東京で生まれ、3歳のとき富山に疎開、そこで19年を過ごす。金沢美術工芸大学、東京藝術大学大学院で彫刻を学び、美術団体の二紀会に籍を置く。「平櫛田中賞」を受賞するなど活躍している。JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同研究や海外への派遣、空間プロデュースのほか、金沢駅前のモニュメントや理化学研究所計算科学研究機構(現理化学研究所計算科学研究センター)の塔など、パブリックアートも数多く手がける。被災地でのワークショップ、東京都美術館での10年におよぶ先進的な教育普及活動への参加なども、彼の活動の重要な側面だ。
長野との縁は東京藝術大学退官後、小布施町でパン屋を営んでいた故岩崎小弥太氏との出会いにより、彼の店舗の目の前の一軒家を紹介され、アトリエとして拠点のひとつとしたことだった。現在、小布施での活動はひと区切りとし、信濃町にアトリエを構えている。
米林はJAXAとの共同研究も行っていて、この作家について語るうえで「宇宙」というテーマははずせないものである。近年、展覧会のサブタイトルに「宇宙」が多用されているが、実際いつから「宇宙」を意識するようになったのか。
最初は《宇宙の客》という22歳のときの作品で、タイトルには「地球人は宇宙の客人だ」という意味があり、当時は高度経済成長の時代で、「これから面白くなっていくのは宇宙だ」と感じたという。北極や南極の探検、エベレストの初登頂など冒険や探査の時代から現在まで、宇宙への興味は尽きることがなく、創作意欲をかきたてるものなのだろう。
2000年から03年にかけて、宇宙飛行士とともに「国際宇宙ステーションの軌道モデルの制作」「宇宙手形」「宇宙モデリング」の3つの研究テーマを実施した。宇宙ステーションのなかでグレゴリー・シャミトフ飛行士が「ひとがた」を特殊な粘土で作り、地球に持ち帰るというプロジェクトは、米林にとってどれほど感慨深いものだったか。
個人的な意見をいわせてもらうならば、私が米林の作品でとくに好きなのは銀製の≪机と椅子≫である。ダイナミックな重厚感のある作品ももちろんすてきだと思うのだが、こちらは手のひらに乗るほどの小さな作品である。最初期のこの作品は、小学校の机と椅子がモデルで、椅子を手でつまむと前後に動く仕組みになっている。以前、「机にあった誰かの落書きや傷に、鉛筆の芯で塗りつぶした思い出があり、そのことは後の作品を黒く塗りつぶす行為につながっているはず」と語っていたのが印象的だった。
米林について書くにあたり、やはり人柄についてふれたい。勤務先の美術館からほど近い小布施にアトリエがあったとき以来、よくお茶を飲みながら美術談義や制作秘話、世間話などを夢中でしていた。その時間はとても貴重で、大学の名誉教授であり、ベテランの彫刻家であることを忘れさせた。私にとって「雲のうえの人」のような有名な評論家について話せば「会って一緒にお酒を飲んだことがある、こんな感じの人だよ」と教えてくれることもあれば、アメリカに留学中の娘がトランプ大統領の反対デモに参加しているが、事故に巻き込まれないか心配だ、などなど。
ここで数々の面白エピソードを披露すると、肝心の作品について書くことができないためここでは控えるが、飾らない人柄、それとは対照的な凛とした作品、その両方を持ち合わせていることが、米林雄一の最大の魅力である。
作品には直線や曲線が多用され、混ざり合いながらもバランスがいい。数学のグラフや数式が美しいように、米林雄一の彫刻にもそれが意識的に使われているのではないか。しかし本人は、「線などは自然界の方が数学より先にあって、それを結果的に数学として解明してくれている。たとえば種の黄金比『フィボナッチ数列』というものがある」と、アトリエにある枯れたひまわりを見ていった。
米林の彫刻作品は、セメントからはじまり、真鍮などの金属作品を経て、木彫作品へと移り変わっていく。木彫作品は、木に鉛筆の粉を塗っているため一見すると金属にも見える。重厚感のある作品は、表面に虫が這った痕跡のような模様が表面に施されているものもあったり、三角や四角の組み合わせであったりする。まるで、パズルのようだ。抽象的な作品を観ていて時折感じる「わからない」とかもやもやしたような感覚は出てこない。「迫力がある」「整っていて美しい」「圧巻」という言葉が先に出てくるのだ。
米林は1942年に東京で生まれ、3歳のとき富山に疎開、そこで19年を過ごす。金沢美術工芸大学、東京藝術大学大学院で彫刻を学び、美術団体の二紀会に籍を置く。「平櫛田中賞」を受賞するなど活躍している。JAXA(宇宙航空研究開発機構)との共同研究や海外への派遣、空間プロデュースのほか、金沢駅前のモニュメントや理化学研究所計算科学研究機構(現理化学研究所計算科学研究センター)の塔など、パブリックアートも数多く手がける。被災地でのワークショップ、東京都美術館での10年におよぶ先進的な教育普及活動への参加なども、彼の活動の重要な側面だ。
長野との縁は東京藝術大学退官後、小布施町でパン屋を営んでいた故岩崎小弥太氏との出会いにより、彼の店舗の目の前の一軒家を紹介され、アトリエとして拠点のひとつとしたことだった。現在、小布施での活動はひと区切りとし、信濃町にアトリエを構えている。
米林はJAXAとの共同研究も行っていて、この作家について語るうえで「宇宙」というテーマははずせないものである。近年、展覧会のサブタイトルに「宇宙」が多用されているが、実際いつから「宇宙」を意識するようになったのか。
最初は《宇宙の客》という22歳のときの作品で、タイトルには「地球人は宇宙の客人だ」という意味があり、当時は高度経済成長の時代で、「これから面白くなっていくのは宇宙だ」と感じたという。北極や南極の探検、エベレストの初登頂など冒険や探査の時代から現在まで、宇宙への興味は尽きることがなく、創作意欲をかきたてるものなのだろう。
2000年から03年にかけて、宇宙飛行士とともに「国際宇宙ステーションの軌道モデルの制作」「宇宙手形」「宇宙モデリング」の3つの研究テーマを実施した。宇宙ステーションのなかでグレゴリー・シャミトフ飛行士が「ひとがた」を特殊な粘土で作り、地球に持ち帰るというプロジェクトは、米林にとってどれほど感慨深いものだったか。
個人的な意見をいわせてもらうならば、私が米林の作品でとくに好きなのは銀製の≪机と椅子≫である。ダイナミックな重厚感のある作品ももちろんすてきだと思うのだが、こちらは手のひらに乗るほどの小さな作品である。最初期のこの作品は、小学校の机と椅子がモデルで、椅子を手でつまむと前後に動く仕組みになっている。以前、「机にあった誰かの落書きや傷に、鉛筆の芯で塗りつぶした思い出があり、そのことは後の作品を黒く塗りつぶす行為につながっているはず」と語っていたのが印象的だった。
米林について書くにあたり、やはり人柄についてふれたい。勤務先の美術館からほど近い小布施にアトリエがあったとき以来、よくお茶を飲みながら美術談義や制作秘話、世間話などを夢中でしていた。その時間はとても貴重で、大学の名誉教授であり、ベテランの彫刻家であることを忘れさせた。私にとって「雲のうえの人」のような有名な評論家について話せば「会って一緒にお酒を飲んだことがある、こんな感じの人だよ」と教えてくれることもあれば、アメリカに留学中の娘がトランプ大統領の反対デモに参加しているが、事故に巻き込まれないか心配だ、などなど。
ここで数々の面白エピソードを披露すると、肝心の作品について書くことができないためここでは控えるが、飾らない人柄、それとは対照的な凛とした作品、その両方を持ち合わせていることが、米林雄一の最大の魅力である。
宮下 真美(おぶせミュージアム・中島千波館)
Exhibition Artists & Hall
Takahashi Setsuro A Museum of Azumino
2019/09/21 - 2019/10/14
終了しました。
安曇野髙橋節郎記念美術館 旧高橋家住宅主屋・南の蔵
- 〒399-8302
長野県安曇野市穂高北穂高408-1 - [電話番号]0263-81-3030
- [開館時間]9:00~17:00
- [休館日]月曜休(祝日の場合は翌日)
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出展作家
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